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世捨て人の  
  人を使わず人に使われない人生めざして
 
  AZMA  

なみだの会見


'07.12.21





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通称:AZMA
真性の中年世捨て人。
極力働かず趣味に生きる 反大衆・脱常識の人生。
株生活を実践中。
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泣こうとして涙が出なかったのは松田聖子だが、マスメディアの誕生以来、さまざまな女が会見で泣いた。
昨日は薬害肝炎で国との和解が決裂、原告団の女たちが涙を流した。この人たちは私利私欲で泣いているのではない、全国の被害者を代表して泣いているのである。
それはわかっているのだが、しかしである。交渉の中身はともかくとして、涙のオンパレードにははっきり言ってうんざりである。

泣くということは、すなわち理屈による説得をあきらめ、感情に訴えて同情を買おうという作戦だ。涙を交渉の手段として使うのは見ていて気分のいいものではない。
この日、別の事件では、夫を殺してバラバラにした妻が法廷で涙を流し、夫の母親は傍聴席で悔し泣きした。涙の応酬である。こうなると涙も法廷戦術のひとつなのかもしれない。

涙を流す確率を「なみだ率」と呼ぶことにするが、選挙中の女性候補者のなみだ率は男性より明らかに高い。女の武器である涙をフルに活用して同情票を獲得しようという狙いである。

もっと目立つのは芸能人の離婚会見だ。離婚した妻のなみだ率は95%を越えるのではないか(といっても調べたわけじゃないが)。悪いのは夫だという印象を世間に植え付けるために涙は極めて効果的な小道具、ここは絶対に泣かなければならない場面なのだ。
女優の場合、泣くのが仕事だから涙の会見はお手のもの、と思うとさにあらず。職業柄つい演技が入ってしまい、かえってあざとい泣き方になってシラけることが多いので注意してほしい。

ボクの調査では女が会見で涙を見せると責任が3割減ずることがわかった。というのはデタラメだが、泣いている女を攻撃できる人はなかなかいないもの。女が涙を見せることは少なくとも本人に不利には働かないと考えられる。そこで女はひとつの戦略として涙を利用する処世術を獲得したわけだ。
それにしてもいい加減にしろよという感じである。



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