格差社会という言葉がやたらに使われるようになったのはここ2、3年ぐらいか。格差の是非はともかく、どうもこの言葉、サラリーマンが勝手に都合よく解釈して使っているのが気になる。
いま言われている格差とはどの辺の生活水準を基準にしているのかをはっきり定義する必要がありそうだ。
たとえば年収800万円のサラリーマンと400万円のサラリーマンの生活レベル差を指して格差社会とは言わない。そんなのは昔からあった当たり前の差である。
いま問題になっている格差は、上はなんとか普通の生活ができる水準、下はワーキングプアだ。働いているのに充分な生活費がまかなえない貧困層が下に来なければならない。
貧困層の基準をどこに置くかだが、アルバイトの大半はフルタイムで働いても年収200万円以下なので、このあたりがひとつの目安になるだろう。もちろん世帯収入で200万円以下ということ(年収100万円のパート主婦は夫の収入を合わせれば貧困層には入らない)。
一方、高卒の初任給は約17万円、年収にすると260万円(額面)ぐらい。これをサラリーマンの下限とすれば、格差の下の層(200万円以下)にはサラリーマンなどいないことになる。
安定雇用、定収入、厚生年金…、生活に何の心配もないサラリーマンが格差という言葉に便乗して騒いでいる。「格差社会だ、生活が苦しい、救済してほしい」って言うじゃない。でもアンタらサラリーマンは格差の上の方で得してる側ですからーっ。残念〜!(ギャグが古い?)
大衆の9割は自分が中流だと思っていて、ミシュランの三ツ星店に行きたいとのたまっているくせに、格差拡大の話になると途端に手を挙げて窮状(きゅうじょう)を訴え、貧困層のふりをする。まったくいい加減である。
格差是正を叫ぶなら、サラリーマンの給料を減らして非正規雇用者の賃金を引き上げ、専業主婦に国民年金を払わせ、配偶者控除をやめ…、と来なければおかしいだろう。
一般大衆の考える格差是正は勘違いかまたは本質のすり替えである。サラリーマンにこびるマスコミにも責任がある。
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