最近、匿名・実名論争というのを小耳にはさむ。インターネット利用者に実名の公表を義務付けようという議論だ。
小耳にはさんだだけなので詳しいことは知らないが、実名を公表させれば誹謗・中傷の書き込みが減るだろうという主張。ちょっと前にあった「ゴミ袋に名前を書け」という発想と同じである。
実名の義務化とは、つまりブログに書いたことが親兄弟、先生、上司、町内会…に筒抜けになることを意味するのだが、それでいいのかな。
あなたが入社試験を受ければ、人事担当はあなたの名前をネットでググって人物像をさぐるだろうが、それでいいのか?
それはそうと、実名公表を主張する人がみな匿名で意見を書いているのだが、ここ笑うところだよね。
評論家などで仕事に関する情報をネットで公開している人は実名で活動している場合が多いが、これは実名公開に積極的なメリットがあるからだ。ジャーナリストが時事問題のブログを書く、政治学者が政治問題のブログを書く場合、正体を明かしたほうが都合がいいのである。
フツーのサラリーマンが仕事と無関係なブログを書くのに実名を出すのは何のメリットもない。仕事的にはむしろマイナス評価であろう。
堂々と実名を出せないような意見をネットに書くなという意見もあるが、個人を特定できる主張というのは必ず目に見えない共同体的束縛を受ける。(たとえば、夫のブログを妻が知っているなら専業主婦批判は書けないだろう。)
思想・信条は本来、地位や年齢や世間体やしがらみを超越したもの。これを内心の自由という。
個人のブログなどは友人にも言えない本音だからこそおもしろいし、読む価値があるというもの。だれに読まれても心配のない当たり障りのない文章が読みたければ、新聞の投書欄や社説でも読んでおけばよい。
もし実名公開の義務化なんてことになったら、日記関係のブログ・サイトでおもしろいやつはほぼ壊滅、つまらない日記だけが残るだろう。
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