すったもんだがありました
2010-02-17 Charles AZMA
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あけましておめでとうございます。
という時期もだいぶ過ぎてしまったが、1年9ヶ月ぶりのコラム再開となる。
昨年の年頭に 「良くも悪くも転換の年になるかも」 と書いたとおり、久々に人生が大きく動いた。もちろん悪いほうに。
まず株トレードだが、利益がさっぱり出ないので、3月に売買を中止。自動プログラムによるデイトレードなので株暴落の影響はなかったが、じりじり資金が目減り。貯金がなくなってはもともこもないのでトレードの全面停止を決断。不採算事業の廃止、っていうの?
やめた途端に日経平均が急上昇したが、運のなさも実力のうちである。
不幸はそれで終わらなかった。6月には、住んでいた借家が取り壊しのため年内立ち退きの通告を受けた。立ち退き料はビタ1文払わぬというので、徹底抗戦のかまえに。借地借家法を調べたり、市の法律相談に行ったり。
夏になって、AZMA父が脳こうそくで倒れて入院したというので、実家へ急行。
AZMA母のほうも前年の暮れから寝たきり状態なので、父の見舞いと平行して母の在宅介護、さらに家のなかの片付けに追われた (父は“片付けられない”老人で、ごみ屋敷寸前だった)。
もう老夫婦だけの生活は無理があるので、親と同居する決断をした。
ところが父の入院から一週間後、母の容態が悪化、救急車で病院に運ぶも、翌朝亡くなる。悲しむひまもなく、父に代わって喪主をつとめて葬式を出す。
それが終わるや、神奈川に戻って家財をまとめ、借家を引き払って実家に引っ越した。
父は3週間の入院をへて退院したが、後遺症でボケがひどく、家事ができない。ボクが家事一切を担当した。
独身者による介護は悲惨である。介護に専念すれば働きに出られない。時間もお金もない。夢も希望もない。いよいよボクの人生もこれまでかと思った。
幸い父のボケは徐々に快方に向かったが、そんな折り、おやじがある親族に大金を貸していて、さらに母の貯金まで渡そうとしていることがわかり、姉も交えて家族会議。そこで父と大ゲンカになった。
ほかにもいろいろ対立があって、後日、ボクは父の財産の相続放棄を宣言し、親子の縁を切って実家を出た。
再び新居を借りて引っ越し。幸か不幸か、いまこうして自由をとり戻すことになった。
大筋だけ書くと以上の通り。よくも次から次と不幸が続くものである。ばかばかしいいざこざがあったが、よく耐えたと自分をほめてやりたい。
やっと人心地ついたので、そろそろ仕事を見つけて、老後の資金をためて、人生を立てなおさなくちゃ。
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