前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ 次のコラム

  ほぼ世捨て人/2003年4月

よみがえった写真集

  〜 消えたアイドルを探して 〜

ほぼ世捨て人もくじ


● 松島エリースをさがせ

 松島エリースといってもだれも知らないだろうが、今回はエリースの話に終始する。興味のない人にはつまらない話なので読まない方がいいと思う。

 エリースを初めて見たのは93年7月。フジテレビの『ピロピロ』という深夜のバラエティだった。松村邦洋、浅草キッド、江頭2:50…という悲惨な番組。これにレギュラー出演していたのがエリースだった。一目見て、尋常ならざるさわやかな笑顔に目がクギ付けになった。

 明るくてノリがよくて、アドリブが利き、マジメで、ものおじしない。この娘は一体何者か。興味がわいて調査を始めた。

 とはいえ、売れないタレント、出演はマイナー番組、深夜番組が多いので、おいそれとは見つからない。番組欄にもめったに名前は載らない。

 それでもテレビマニアとしての経験とカンを頼りに少しずつ情報が集まってきた。年齢はこのとき19歳。ハワイから来た日系四世で、国籍はアメリカ。純血の日系人である。本名、生年月日、デビューのいきさつ、趣味などがわかってきた。

 内面も非常に日本人っぽい娘だが、たまに垣間見せるアメリカ的な部分にボクはひかれた。

 顔写真を載せたいところだが、著作権などの問題もある。といいながら、オキテ破りだが、最近のわがパソコンのデスクトップを載せよう。

最近のデスクトップ
壁紙は写真集『アイドル通信 松島エリース』より。
最近のデスクトップ

 もっともメジャーな仕事はTBS『どうぶつ奇想天外!』のレポータだろう。ボクが見つけただけで通算20回出演した。

 95年、深夜の音楽番組『ポップテン』で、TBSの松宮アナ(後年自殺する)と組んで司会をしているのを発見。英語でランキングを読み上げたり、来日ミュージシャンにインタビューしたり。エリースの英語には強い日系訛りがあるので驚いた。ハワイの日系人に見られる傾向である。

 ところでアナタ、まだ読んでるね? この先、何の落ちもないヨ。やめるなら今のうちだ。

● こつ然と消えたエリース

 95年、『美女の原石』という深夜のトーク番組にゲスト出演した。この番組は画期的だった。ゲストの私生活をロケで紹介するコーナーがあり、エリースについて多くのことがわかった。

 エリースが自転車で多摩川の河川敷に下りて弁当を広げる場面があった。遠くに東急線が見えたので、場所はニ子玉川だ。普段、自転車で行動すること、ここから遠からぬ場所に住んでいることが推測された。

 さらに、インラインスケートに凝っているといい、世田谷の駒沢公園でサークル仲間とホッケーに興じる場面が紹介された。

 これ以後、ボクは買い物で都心に出た折りに何度か駒沢公園に寄ってみた。二、三度エリースがホッケーする姿を見つけ、遠目で滑りをチェックした。その距離150メートル。これ以上近づくと不審人物と思われてしまう。不審人物にはちがいないのだが。

 実はボクも大学時代、(インラインスケートではないが)ローラースケートサークルに所属、スケートにはちょっとうるさいのだ。卒業して東京に出てからも毎週末駒沢公園に通っていた時期がある(エリースより13年も前の話、ホッケーではなくパイロン抜けだったが)。当時から駒沢公園はローラースケートのメッカだった。

 自転車、多摩川、スケート、駒沢公園…。エリースとボクは意外に共通項が多いのである。

 ボクが見たエリース出演番組の数は以下の通り。もちろんすべてダビング保存してある。

  • 93年、レギュラー1本
  • 94年、レギュラー2本、単発4本
  • 95年、レギュラー3本、単発4本
  • 96年、レギュラー2本、単発3回
  つづき

 96年の出演はすべて4月までのもの。それ以降、なぜかテレビ出演がプッツリ途絶えてしまう。出演していたのかもしれないが、どうしてもボクのアンテナには引っかからなくなった。

 その96年4月、フジテレビの春の特番を見ていた。プロレスラーのブッチャーが特別ゲストとしてスタジオに登場、という場面で驚いた。通訳として一緒に出てきた女性がエリースだった。名前のスーパーは出なかったのでカタギの仕事か。通訳に転身したのか?

 バラドルとしてタレント性充分のエリースだが、結局メジャーにはなれなかった。なぜか。理由は明白だった。日本語に難があったのである。

 発音は自然で、外人として見るなら極めて日本語がうまいと言えるが、日本人として見るとイントネーションがちょっとヘン。たまに文法ミスもある。実際の会話から拾ってみる。

  • 「私は、こんなちっちゃいの時から…」
  • 「いつ頃からスヌーピーを集まってるようになったんですか?」

 バラエティで普通のやりとりをするには充分な会話能力だが、固い番組や込み入った話はちょっとムリ。ビビアン・スーぐらいヘタになると別の引き合いがあるのだが、エリースは中途半端にヘタなのである。

 中学レベルの漢字は読めないようなので、台本を読むのも大変。これでは使える番組が限定されてくる。

 エリースの日本語は着実に上達していたが、それでも最後までコトバに苦労していた。見ているボクもハラハラしたものだ。

 96年を境にエリースの消息はわからなくなった。こうして3年に及んだエリースとの蜜月時代は幕を閉じる。

● あの人は今…

 98年、ボクも人並みにインターネットに接続する人間になった。早速サーチエンジンでエリースの名前を検索してみた。

 当初引っかかる情報は少なかったが、年を経るにつれて増えてきた。当時発見できなかった出演番組もいくつかわかってきた。

 エリースの記事が掲載された雑誌も多数発見。そのうち8冊を古書店のネット通販で手に入れることができた。数年前の雑誌の内容がわかり、家にいながらにして入手できる。いい時代になったものだ。

 今年になってからの検索で、なんと2冊目の写真集が出ていることが判明し、入手した。

デジタル写真集『アイドル通信 松島エリース』
1,200円。リンクは電子書店パピレスの解説ページ。ファイルでダウンロードし、パソコンで鑑賞する電子書籍。

 92年、エリースは紙の写真集『PARADISE』を出している。これはすでに持っているが、表情がやや硬く、エリースらしさに欠け、写真集としての出来はイマイチだった。

 今回のデジタル写真集、もちろん新しく撮影したものではなく、前作で撮影した写真から選にもれた49カットを集めたもの。しかし、見てびっくり。エリースらしさがよく出たカットが多く、前作より2倍イイのである。ここ数年で最大の収穫だった。

 95年頃、エリースは何を思ったかレゲエのCDを1枚出している。これも先月、ネット通販で中古盤をゲットすることができた。

 インターネットで少しずつエリース情報が集まってきた。しかし、今のところすべて92年〜96年の活動に関するものばかり。それ以降の消息を示す情報は一つもないのである。

 あれから7年、松島エリースは今どこで何をしているのか。

 実を言うと、その後エリースは紆余曲折を経て、現在ボクの妻におさまっている。という展開ならおもしろいのだが、そんなわけはナイ。

 まだ日本にいるとすれば、現在29歳か。ハワイに帰っているとすれば、やはり29歳だろう(当たり前だ)。結婚しているのか、通訳でもしているのか…。

 ここまで読んだ読者はすっかり引いたことだろう。ちょっとマニアックすぎたかナ。


松島エリースをしのんで一句

前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ ページ先頭 次のコラム
Copyright(C) 2005. AZMA

inserted by FC2 system