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  ほぼ世捨て人/2003年5月

役に立たない勉強

  〜 教育は国家的なムダである 〜

ほぼ世捨て人もくじ


● 何のための学校教育?

 学校の勉強って何のためにあるのだろうか。

 足し算や掛け算ができなければ確かに困る。以前、フリーター仲間に“小数”がわからない中年男がいて、30分が0.5時間だと説明しても理解できなかった。これでは勤務時間が記録できないので困るだろう。だが、これは極端な例だ。

 高校で習う微分、積分が将来役に立つ人はどれだけいるだろうか。確かに大学の理系へ進むと、講義は微分・積分の雨あられ。科目によっては微積分がわからないと手も足も出ない。が、文系の人には必要ないだろう。

 社会に出てから微積分を使う人は100人に1人もいないのではないか。ということは2クラスに1人もいないことになる。教育とは何というムダだろうか。

 三角関数(sin、cos…)、行列、ベクトル、大多数の人には何の役にも立たない。数学は自然科学の道具。自然科学を学ばないのに道具だけそろえても意味がないのである。

 数学に限らず、学校の勉強で社会に出てから役に立つのは中学までだろう。高校以上で習うことはほとんど役に立たない。まして大学で習うことで役に立つことは何もない。

 仕事に必要な知識は就職してから覚えるというのが基本。職場で必要になったときに学べばよいのである。学校教育を職業訓練と考えるなら高校以上の教育は必要ないと言える。

 しかし、教育の目的を学問の習得と考えるならこれでいいのである。学問とは所詮役に立たない知識であり、道楽と同じもの。ただし、やりたい人だけがやればよい。ボクも道楽で英語や古代史を勉強した。

 将来トラック運転手になる生徒まで進学することがまちがいなのである。進学率が高いことは国家的なムダだと言える。

 高校や大学を出て専業主婦になるというのはムダの最たるもの。教育費回収のため専業主婦に税金をかけるべきだ。

 大学を出てフリーターになるなんてけしからん。おっと、これはオイラのことか。白状すると公的資金で運営された大学だった。なんたるムダ。税金泥棒!?

 とんでもない。こちとら社会に出て人の何分の一かの薄給でつまらん仕事を引き受けているのだ。国費を使った分は充分過ぎるほど社会に還元している!

 考えてみると学校で教えることは必要ないことばかりだ。社会で本当に必要なことは学校では教えない。たとえば、出産や子育て、人工呼吸、クルマの運転、セックスのやり方、キーボードのブラインドタッチ、確定申告、財テク、法律、訴訟を起こす方法などは教えてくれない。

 学校で教わった勉強を忘れても、たいていの大人は“立派な社会人”として通用している。

 テレビを見ていると、「高圧電線に触れて10万ボルトの電流が流れました」と平気で言っている。電気専攻だから言うわけじゃないが、ボルトは電圧の単位だから、「10万ボルトの電流」という言い方はまちがい。しかも10万ボルトという電圧は流れるものではない。流れるのは電流だ。二重にまちがっているのである。正しくは「10万ボルトの電圧加わりました」と言うべきだ。

 電圧と電流のちがい。わかりにくければ水圧と水流に置き換えてみればよい。細い管の一端に水圧を加えると水が流れる。高い水圧をかければ管の抵抗に逆らってたくさんの水流が流れる。

 10万ボルトに感電すると体にどれくらいの電流が流れるか。人体の電気抵抗は10KΩ程度だから、オームの法則(電流=電圧÷抵抗)により電流は10アンペアとわかる。  つづき

 よって電流で表現したければ、「高圧電線に触れて10アンペアの電流流れました」と言えばよい。10アンペアじゃインパクトがない? これでも電気の世界じゃ大電流なんだけどね。

 オームの法則はたしか中学あたりで習うんじゃないか。公共のテレビやマスコミすらかくのごとくまちがいだらけ。それに文句をつける人もいない。

 朝の情報番組を見ていると、ニュースにまじって星占いが出てくる。すぐにチャンネルを変えるのだが、他のチャンネルでも星占いをやっていてうんざりする。

 せっかく微積分やオームの法則を教わったのに、科学より迷信や占いを信じ、オウム真理教に走る。これを教育の失敗と呼ばずしてなんと呼ぼう。

● 評価されない学校週5日制

 日本の子供は不幸である。人生で一番楽しい時期に勉強だ、塾だと、朝から夜まで勉強漬け。将来学者になりたいというならそれもいいだろう。が、大多数の子供はトラック運転手やぐうたら専業主婦になるのである。国費のムダならまだいいが、貴重な青春のムダ遣いである。

 子供は遊ぶのが仕事。遊びに飽きたら勉強でもすればよい。学校で習うことは大人になってからでも勉強できるが、子供の遊びは今しかできないのである。

 子供を長時間学校にしばり付けて勉強や部活をさせるより、早く家に帰してやる方がはるかに有意義だ。親はわが子を学校から取り戻すべきなのである。

 詰め込み教育からゆとり教育へ、という声はボクの子供時代からあったが、一向に実現しなかった。最近になって日本もようやく学校週5日制が実施された。

 土曜が休みになり、これで勉強や塾通いの時間が減り、やっとまともな姿に近づく、と思ったら甘かった。

 週5日制にもっとも賛成するべき親の大半が反対した。曰く、学力が低下する、格差が広がる、宿題を増やせ、減った授業時間を塾や補習で補え。自治体も土曜日の子供の“居場所”とか“受け皿”云々と言い出した。親は人より多く勉強させて他人を出し抜くことしか考えていないようだ。処置なしである。

 テレビ番組「ビートたけしのTVタックル」を見ていたら、出演者全員が週5日制、ゆとり教育に反対。このままでは学力不足で国際競争力が低下する、もっと学力を上げてインドのようにシステムエンジニアを大量に増やせ、だとさ。これには笑うしかない。

 まず世の中SEだけじゃ成り立たないのだよ。ゴミを収集する人、地面に穴を掘る人、トラックを運転する人も必要なのだ。(トラック運転手ばかり出てくるが、トラック運転手に教育は必要ないと言ってるわけじゃない。いや、言ってるかな。言ってます。)

 第二に、みんながSEになりたがっているとする勘違い。職業選択で大切なことは、何ができるかではなく「何がやりたいか」だ。第三に、SEになるのにそれほどの学校教育は必要ない。システム開発は学力ではなくセンスである。

 国際競争力が低下する? それを言うなら、まず働かないぐうたら専業主婦を減らすことこそが大切。

 親は子供が勉強さえしていれば安心する。勉強していい会社に入るだけが人生ではない、おもしろおかしく生きるのも人生、人の生き方など無限にあるのだということを子供に示せない親。子供の教育方針を見ると、親の人生観の狭さが透けて見える。教育が必要なのは親だ。


勉強−AZMAの辞典

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