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  ほぼ世捨て人/1998年2月

百姓をめざした頃

  〜 農業と田舎暮らしの夢 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 「田舎暮らしをしたい」とか「仕事を辞めて自給自足の生活がしたい」と考えたことはあるだろうか。インターネットにつながった人にそういうタイプは少ないかもしれない。

 20歳代の終わり頃、百姓になることを考えた。システムエンジニアとして長時間労働を強いられ、組織に振り回される生活にうんざりしたからである。なにしろ就職する前から脱サラしか考えてないような人間である。就職してからも、会社を辞めて何ができるか、人に使われない仕事はないか、そんなことばかり考えていた。といって事業を起こして人を使ったり金儲けにあくせくするのは嫌だ。その代わりいくら貧乏してもいいと思った。

 人に使われないためには生活が膨張していてはだめ。ぜい肉をそぎ落し、生活費のかからない生き方をしなければいけない。そのためには家賃の高い都会にいてはだめだ。田舎に入って自給自足をめざそう。当時から発想は世捨て人そのものである。

 地方に移住して田舎暮らしをしたいと思う人はいるが、田舎でどうやって収入を得るかが問題だ。自給自足をめざすにしても最低限の現金収入は必要。収入の手段を持たない田舎暮らしはただの別荘暮らし。都会で働いて休日だけ田舎にやってくるレジャーでしかない。それがいけないとは言わないが、ボクはあくまでも“田舎遊び”ではなく“田舎暮らし”をめざしていた。

 「田舎でできて、人に使われない仕事」として浮かび上がったのが百姓である。…と簡単に思いついたように書いたが、就職してから5年も思案し、悩んだ末に到達した方針である。おてんとうさま以外に頭を下げない百姓が魅力的に思えた。28歳の頃である。

 百姓になるにはどうすればいいのか何もわからなかった。どうやって田舎の物件を手に入れるのか、農地を買うにはどうするか、資金はどれぐらい必要か、いかに野菜作りの技術を学ぶか、作った作物をどうやって売るか…。

 それからは田舎暮らしの本、無農薬野菜の作り方を書いた本、脱サラして農業を始めた人の本などを買い漁り、むさぼるように読んだ。『百姓入門記』、『百姓志願』、『ほどほどに食っていける百姓入門』、『自然卵養鶏法』、『すばらしき田舎暮らし』、『カントリー・ライフのすすめ』…といった本が書棚に並んでいった。この業界ではバイブルとされる福岡正信の『自然農法』なんて本も仕入れた。  つづき

 やがて「有機野菜と卵をセットにし、宅急便で契約者に直販する」という構想が固まっていった。資金として300万円ほどあれば、農地を手に入れ、鶏舎を建て、なんとか百姓としてスタートできるという見通しを立てた。

 知識も次第に増えていった。畑が5反あれば野菜農家として食っていけるとか、ホウレン草は酸性の土を嫌うので灰をまくとか、鶏の平飼いは10坪当たり100羽以内がよいなど、一応イッパシの理屈が言えるようになっていた。

 百姓の資金300万円の貯金をめざして働いた。当時は銀行のオンラインシステムの設計で毎日深夜10時まで激務が続いたが、家では百姓めざして試行錯誤するという、他人には理解できない生活だった。マンションのベランダにプランターを置き、野菜の種を植えて栽培実験もした。コンピュータの仕事はもはや百姓の資金作りの手段でしかなかった。職場で端末のキーボードを叩きながら、頭の中では鍬を振り下ろす自分の姿を想像していた。

 そんな生活が1、2年続いただろうか。30歳でとうとう堪忍袋の緒が切れて退職。組織の不条理にほとほと愛想が尽きたのである。とにかく疲れた。

 再び百姓をめざすのか、別の道へ進むのか、先のことは何も決めていなかった。一つだけ決めたのは、死んでも日本の会社にはもどらないこと。スーツもネクタイもこのとき捨てた。

 それから1年間、自転車で日本を一周しながら先のことを考えた。旅を終える頃には、やりたい仕事が見つかるまでフリーターで食って行こうという考えが固まっていた。

 アルバイトは組織への忠誠を要求されないので、比較的気楽にできる。コンピュータの仕事などせず、最初からこれをやればよかったと後悔したものだ。

 結局、ボクは百姓にならなかった。多分ならなくてよかったと思う。生活費を稼ぐ目的ならアルバイトの方が簡単で高収入。百姓は労多く実入りの少ない仕事であり、できれば夫婦でやった方がいい。

 老後は自給自足の手段として楽しみながら野菜を作ることになるだろう。


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