「人を使わず人に使われない人生めざして」。
庵開設以来の一貫したテーマであり、ボクの人生のテーマでもあった。
10月20日、アルバイトの仕事を辞め、投資家としてスタートすることになった。経済学的にいうと、労働者を卒業して資本家になるわけだ。
『世捨て人の庵』を開設当初から読んでいる読者もわずかながらいるはず。ボクが貧困にあえいでいた時期を知っている人はどう思っているだろう。
いま読者は、落ちこぼれ中年男のささやかな夢がかなう瞬間に立ち会っている。かつてこれほど劇的なホームページがあっただろうか。
・・・それほどでもないか。単にオッサンが仕事辞めて株に入れ込んで大損するまでの一過程に過ぎない?(投資成績によっては否定しきれないのも事実だが)
ボクは多くの勤労者と同様、不愉快な労働に身をやつしてきた。
でも他の労働者とボクが決定的にちがっていたのは、彼らは好きでやっていたという点だ。
彼らは自由が大嫌いで、組織から外れることを極端にいやがった。出世が人生のすべてだった。ある程度そう思わなければ労働者はやってられないのはわかるが、頭のてっぺんからつま先まで洗脳されたロボットだった。
ボクは出世して年収一千万円のサラリーマンになりたいと思ったことはただの一度もない。年収百万円でいいから自由に生きたいと願ってきた。
彼らはちがった。出世して人に使われる側から使う側へ回るのが彼らの最高の夢である。
ボクのテーマ「人を使わず」とは出世したくないという意味だ。出世の頂点に立つ社長も経営者も、会社の舵取りをする一労働者であることに変わりはない。そんなものになりたいとは思わなかった。
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5年ぐらい前から50歳で引退したいと思い、「自由人計画」の草案を練った。不況の中でせっせと貯蓄に励み、悩んだり、もがいたり、もうだめかと諦めかけたこともあった。
その後、株という思いも寄らない手段に出会うことになる。急転直下、仕事を早めに引退して、700万円の貯蓄を株で回して生活するという構想に変わった。人生何が起こるかわからないものだ。
いままでは他人の出世のために働くつまらぬ人生だった。これからが人生の本番。悪いがボクはこれから幸せになる。あばよ、ロボットたち。
でも自由になるまで半世紀近くかかってしまった。ナヌ?もうすぐ48歳か。人生あまり残ってないじゃん!
まあしょうがない。何かを始めるのに遅すぎるということはない。残り時間はざっと40年ある。思いっきり遊んで、失った人生を取り戻すぞ。
ここまでずいぶん遠回りした気もする。たとえば、もっと早くから株をやっていれば・・・。しかし、株のネット取引が一般化するのは2000年頃からだ。その頃のボクは貧乏のどん底で株どころではなかった。ネット取引と株資金の確保、2つの条件がそろって機が熟したのが今ということか。
Xデーの10月20日。終業後、くだらない送別会に出席して、それがボクの最後の仕事になった。
夢は強く願っていればいつか必ずかなうもの。それまで目標から目を離してはいけない。
帰りの夜道をとぼとぼ歩きながら、いま夢が実現したんだなと思った。このところあわただしかったので実感がわかないのである。
もうボクに命令するやつはいなくなった。
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