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  ほぼ世捨て人/1998年10月

電話嫌い

  〜 この世に電話の無かりせば 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 電話は無神経な道具である。大切なひとときに何の前触れもなく割り込んでくる。手紙やメールのように自分の都合のいい時間に対応するというわけにはいかない。

 『「超」整理法』の野口悠紀雄も、電話は暴力であり野蛮な道具だと書いているが、同感である。

 ボクには電話で話すような友達はいないし、それを誇りにも思っているので、電話など必要ない。電話で人と話すのも好きではない。

 電話にわずらわされるのがいやなので、人に電話番号を教えたりしない。電話帳に番号を載せるなんて信じられないことだ。そんなものを不特定多数の人に知らせてどうするのか。

 ボクは冗談で「うちの電話番号を知っている人はこの世に三人しかいない」と豪語する。一人は自分、一人は実家の親、一人はNTT職員だ。よって電話がかかってくることはめったにない。それでもまちがい電話の比率だけは変わらない。

 在宅中にうちの電話が鳴るのは月平均2回。1年で24回。そのうちの8割はまちがい電話だから、ボクにかかってくるのは正味5回。それも大半が勧誘である。電話を引いて便利になるどころか、かえって迷惑をこうむっているのである。

 それでも電話を引かないわけにはいかない。電話番号がなければアルバイト探しもままならない。宅急便の伝票にも送り主、受取人の電話番号を書かなければならない。いまや電話番号は住所や名前と同様、身元を明らかにするための個人情報の一つになってしまった。

 電話は一度もかけなくても毎月基本料金1,600円と屋内配線使用料60円がかかる。1年で2万円以上にもなる。

 電話をかけるのは月にせいぜい3回ほど。天気予報を聞くためだ。それでも基本料金などでひと月1,800円(税込)ほど取られる。1回の天気予報が600円に相当する。電話など引かず公衆電話からかければ月30円ですむものを。  つづき

 電話が発明されたせいで、話したくない時に話したくない人と話さなければならない。めったに使わない電話のために毎月高い基本料金を取られる。まったく不便な世の中になったものである。

 ある時期、2年ほど電話の権利をNTTに預けておいた。引越してから再び電話を使うことになった。電話を使うには工事が必要だという。

 後日、下請けのおやじ2人が接続工事にやって来た。と言っても、家にはすでに電話線が来ているし、差し込みジャックもついているのだから、工事など必要ないはず。実際、電話のコードをジャックに差し込んで通話を確認するだけだった(その程度ならボクにもできる)。わずか3分の確認作業に2,000円も請求された。どうも納得がいかない。なんでも手数料を取りたがるのである。最後に工事のおやじはうちのトイレをタダで借りてから帰って行った。以後、わが家のトイレは使用料2,000円と決めている。

 電電公社を民営化すればよくなるかと思ったら全然だめだ。何ごとも一社独占で選択肢がないというのは利用者のためにならないと痛感する。

 インターネットに接続するようになって、わが家では初めて電話回線に金を払うメリットが出てきた。ますますNTTに牛耳られるようになったと言えないこともない。

 最近、携帯電話がブームである。猫も杓子も携帯を持っている。いつでもどこでも電話がかかってくるなんて考えただけでもおぞましい生活である。こんなものが手放せないという人がいるらしい。常に仲間とつながっていないと不安だという人は、一度生き方を見直すべきだろう。

 もうすぐテレビ電話が実用になるという。相手の顔が映る電話は人類の夢だなどと聞くと正気かと言いたくなる。そんなもの、どこがいいのだろう。裸でくつろいでいる時に電話が鳴っても出られないじゃないか。うっかり電話に出て、猥褻(わいせつ)図画(とが)公然陳列罪か何かで逮捕者続出だ。それはそれで面白い事態ではあるが。


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