10年ぐらい前だったか、旅先でふと気づいたのは、日本人は一人旅しないということ。周りはみなグループや団体客ばかり、一人で歩いているのはボクだけなのである。
それまで人など見て歩かないから気づかなかった。以後注意して見ると、どこの旅先でも状況は同じ。珍しく一人で歩いている人を見つけると、たいてい外人だった。
いつも仲間とつるんでいる人でもトイレは一人で入るもの、旅は一人で行くものと思っていたが、この国ではちがうらしい。
日本人は一人旅を恥ずかしいことだと思っているのかもしれない。グループで旅する方がよほど恥ずかしいとボクは思うが、この感覚は他の日本人とだいぶずれているようだ。
登山やハイキングのいいところは、自然と対話し、自分自身と向き合えることだろう。しかし、山で単独のハイカーや登山者に会うのは稀だ。たまに見かける単独ハイカーは意外に若い女性が多い。
中年や初老の夫婦が水入らずで登山する姿は悪くない。本当に山登りが楽しめるのは二人までだろう。
誰もいない山に登りたいと常々思うが、休日の登山道はグループ登山客であふれ返っている。
十九、二十歳のガキならいざ知らず、いい年をした中年男が集団行動とは何事ならん。団体旅行のような大人数のグループもいて、お前は皇太子かと言いたくなる。
こういう登山のどこが面白いのだろう。メンバーはリーダーや先頭の後ろを金魚のフンのようにくっついて歩くだけ、コースを確認したり地図を開くことすらないだろう。他人のペースで歩かねばならない。珍しい植物、気になる景色があっても立ち止まるわけにいかない。お喋りしながら登る人は自然と対話することはかなわない。
グループ登山は天候に合わせて日程を変更するわけにはいかないので、天気が悪くても決行する。これが山の景色をつまらなくする。
大して山に興味のない者まで大勢引き連れて行くから登山道が混んで迷惑千万。道が荒れる。ゴミも増える。
大人のくせに単独行できないとは情けない。こういう手合いに限って集団になると態度がでかくなり、傍若無人にふるまうのである。
山はそれを楽しむだけの体力と感性を持った者だけが一人で行くべき場所だ。グループで連れ立って楽しみたいのなら繁華街か遊園地へでも行け。
日本人の団体旅行の習慣は子供の頃から培われる。遠足、修学旅行、卒業旅行、大人になると社員旅行、研修旅行、慰安旅行。すべて団体である。これが日本人の“旅”能力を決定づけてしまう。
修学旅行。中学、高校生に神社仏閣や史跡を見せても始まらない。この年齢で古い文化財に興味がわくはずもないし、価値もわからない。ボクは高校の修学旅行で見たはずの京都、奈良の記憶がほとんどない。
20歳代後半から日本の古代史に興味を持ち、古代史の本を随分読み漁った。カメラで神社仏閣の写真を撮るのも趣味の一つになった。その頃、改めて京都や奈良を一人で見て回ったら初めて記憶に焼き付いた。
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充分予備知識をたくわえ、興味のある神社仏閣だけを巡るのだから、単なる観光旅行ではない。田んぼの中の石塔さえも、その歴史の背景をよく知っているので、子供の頃からあこがれていたものを見るような感動があった。古都は大人になってから歴史をよく知った上で一人でじっくり鑑賞すべきものだ。
子供には京都、奈良よりも東京を見せるべきだ。現代日本を知らない子供に千年前の日本を紹介してどうなる。まず現代日本の首都を、騒音や排気ガスを、交通渋滞を、欲望が築いたコンクリートジャングルを見せるべきだ。
社員旅行。ボクはサラリーマンを2年経験しているので、社員旅行には2回行っているはずだが、ほとんど記憶がない。会社の人間関係を引きずった旅行など仕事の一部でしかないので、楽しいことなど何もない。嫌な旅行のことは思い出すこともなく、記憶から消し去られてしまったらしい。
社員旅行でなくとも職場の人間とつるんで旅行に行く人は多い。家族旅行であっても、旅先でおみやげを買って職場に配る。旅とは日常の人間関係、しがらみを忘れるために行くものと思っていたが、まちがいだった。多くの日本人は日常のしがらみを強化するために旅に出るのである。
役人の視察旅行というのもある。ゴールデンウィークになると、閣僚や自治体職員が視察を名目に海外旅行に出る。都市計画の参考にするためなどと理由をつけ、公費で外国の観光地巡りをする。この悪習、なんとアメリカにもあるのだ。
日本人の海外旅行者は、幼稚園児の遠足のごとく集団で行列することで悪名高い。成り金民族がみやげ屋に群がり、高価なブランド品を買い漁って帰る。これも国辱ものである。
新婚旅行で海外に行くカップルが増えた。しかし旅先で男が頼りにならないので、成田離婚に至るケースが増えた。さもありなん。旅行といえば団体旅行かパック旅行しか知らず、国内でさえ一人で行動できないのだから、海外へ出たらオロオロするばかりだろう。
旅行といえば、現在の主流はパック旅行。一切旅行会社まかせだから自分で見どころを調べる必要さえない。観光バスに揺られ、「右手をご覧ください」と見る方角まで教えられる。山田邦子じゃないが「一番高いのは中指です」と観光ガイドもついている。ガイドの合間にはやかましいカラオケまで聞かされる。
時間、コース、見どころ、食べるもの、泊まるところ、みやげ物、すべてお膳立てが揃っている。旅情もへったくれもない。烏合の衆の大名行列である。
旅とは、自分を解放し、自由気ままに行きたいところへ行くこと。自然と対話すること。自分自身と向き合うこと。見知らぬ土地で旅情を味わうこと。団体旅行はこれらのほとんどをスポイルしている。
一人旅を「旅」と呼ぶなら、グループ旅行は旅以外の何かだ。宴会、草野球、マージャン、ゴルフなどと同じものと見るべきだろう。
そういえば、日本のサラリーマンの人生そのものが団体旅行のようなものではないか。何も考えずに会社の決めたスケジュールに従い、会社という名のバスに揺られ、仲間と一緒に会社が決めた目的地に運ばれていくだけ。会社勤めは40年間の団体旅行だ。
【旅情】 ひとりの旅人として感じる、しみじみとした思い。<新明解国語辞典初版>
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