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  ほぼ世捨て人/1998年11月

自転車に冷たい道路行政

  〜 自転車で安全に走れない道路 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 自転車でツーリングする場合、コースに合わせてタイヤを交換することがある。自転車というやつは、タイヤの太さで随分走行感や疲れ方にちがいが出てくる。太いタイヤはクッションがよく横滑りしにくいので荒れた路面を走るのに都合がいいが、その分重いので長距離走行では疲れる。細いタイヤは軽くて疲れにくいが、路面の振動を拾うので乗り心地が悪く、舗装道路でさえハンドルを取られて危険な場合がある。

 ツーリングには太いタイヤがいいか細いタイヤがいいか、それを解説するだけで本が一冊書けてしまうが、路面事情を考えれば、あまり細いタイヤだと神経が疲れてしかたがない。実はタイヤの太さは道路行政の失策と深く関係するのである。

 今の道路事情はすべて車優先になっており、自転車や歩行者はしいたげられている。道路の構造そのものが車に都合のいいように作ってあり、自転車などは完全に無視されている。

 歩道を自転車で走っていて(好き好んで歩道を走っているわけではない)非常に腹立たしいのは、まず歩道に無意味な段差が多すぎることだ。路地が交差するたびに高さ数センチの縁石を越えなければならない。これは車優先の道路設計になっているためだ。

 路地との交差点には1センチたりとも段差は必要ない、まっ平らにせよ。そもそも路地と交差するたびに歩道上を縁石が横切るという道路設計がまちがいなのである。縁石は直進優先でまっすぐに作り、路地から出る車こそが縁石を越えるような設計でなければいけない。しかし交通法規には「歩行者優先」を謳っていながら、道路行政は完全に「車優先」になっている。

 日本一周した時も、重い荷物を積んで毎日歩道の段差を踏むため、キャリアがどんどん壊れていったものだ。日本でマウンテンバイクがブームになった背景にはこの市街地の路面の悪さがあると確信している。都会のでこぼこの歩道を快適に走るには、タイヤが太くて振動吸収性がよく衝撃に強いMTBはうってつけだからだ。

 市街地では交通事情に応じて車道を走ったり歩道を走ったりと切り換えたい場合が多いのだが、歩道は車道より高くなっているので、縁石を乗り越えなければ出入りできないのが困る。写真のような自転車専用レーンのある道路は非常に珍しい。

自転車用レーンのある道路

 歩道の真ん中には盲人用の黄色いラインが設けてある。誰が設計したのか知らないが、自転車でこの上に乗っかると横滑りしてハンドルを取られ、特に雨の日などは極めて危険である。チューブラータイヤ(レース用の細いタイヤ)などで走る時には随分ヒヤヒヤさせられる。よくもこんな危険なものを歩道に置いたものだ。自転車のタイヤが滑らないようなパターン(たとえばブロックパターンなど)はいくらでも工夫できたはずだ。設計者は自転車のことを少しも念頭に置いていなかったにちがいない。  つづき

「自転車は降りて通れ」というトンネル

 写真のトンネル標識には自転車はおりて通行せよとある。トンネルの長さは500メートル以上ある。こんな暗くてうるさい歩道を自転車を押して歩けというのである。最初から自転車に乗ったまま通行できるよう設計せよ。行政は自転車に対してこんな仕打ちをして恥じるところがない。まったく困ったことである。

 歩道を走っていると、時々自転車で渡れない交差点に出くわすことがある。歩行者用の歩道橋はあるが、自転車が登れるようなスロープがついていない。ガードレールが歩道を隙間なく囲っているため、車道に出るに出られない。先に進むことができず、やむなく信号のある場所まで戻るというハメになる。車を運転していて道路がなんの前触れもなく途切れるということはありえないだろうが、自転車で歩道を走っているとしばしばそういう事態に出くわすのである。

 電信柱、街路灯、街路樹、信号や標識のポール…ありとあらゆる邪魔物が、なぜか車道ではなく歩道に置かれている。歩道の放置自転車が問題になっているが、行政が歩道に余計なものを置くことで歩道を狭くしていることの方が問題である。車のための標識や工事の看板(「この先300m工事中」など)は車道の真ん中に置けと主張したい。

 先進国で電信柱が路上に林立しているのは日本ぐらいだろう。これが歩道を一層狭くしている。電線は地中に敷設するのが文化国家の常識だ。電信柱と電線は市街地の美観も著しく損ねる。

 峠道をツーリングしていると、カーブの多い場所で、よくセンターラインに反射板が埋め込んであるが、これは自転車にとっては危険だ。車が自転車を追い越す際、センターラインを越えようとしないので自転車スレスレを追い抜くことになるからだ。またセンターラインに紅白の短いポールが数メートルおきに立っている峠道があるが、これは特に危険だ。トラックなどの大型車が自転車を追い越す時、センターラインから出られないからだ。

 大きな公園で「園内自転車進入禁止」というところがある。相模原公園などがその典型例だ。園内の自転車通行を禁止するというのは“クルマ乗り”の発想である。車から下りたら他の乗り物は邪魔物にしか映らないのだろう。遠くから車でやってきた利用者にはそれでいいだろうが、近所から自転車でやって来た人間にはつまらない場所となる。こういうだだっ広い公園は自転車で移動するのが一番便利なのだが。どんなに整備された公園も自転車に乗れないのであれば、サイクリストにとってはただの広い空き地でしかない。

 アメリカではhighway(主要道路)でも自転車が通れるレーンが作ってある。日本人が作る道路は、ベイブリッジ、瀬戸大橋、東京湾横断道路、大きなものはことごとく人や自転車が通行できないようになっている。発想が貧しいのである。

 自転車は行政から完全に無視され、しいたげられている。いくらエコロジーを叫び、環境問題を論じようと、自転車がこういう扱いを受けている以上、人が自転車から車に流れるのは当然であろう。今の交通事情、道路事情では誰が好き好んで自転車など乗るものか。

 地球温暖化防止国際会議で各国に炭素の排出量が割り当てられた。こういう規制をクリアするためにも、国民を自転車へ向かせることが必要だが、そのためには国も行政も発想を180度変えなければいけない。無理だろうな。


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