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  ほぼ世捨て人/1999年1月

何がプレゼントだ

  〜 モノを贈る習慣に反対 〜

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 だれにでも誕生日というイベントがある。ボクの場合は1月3日。これを聞いて「かわいそうに」と思った人はよくわかっている人だ。1月3日といえば全国的にお正月真っ盛り。学校や会社は休みだから、学友や同僚に誕生日を祝ってもらうということがない。

 サラリーマン時代のこと。職場の女の子がよせばいいのに「各社員の誕生日にみんなでお金を出し合ってプレゼントを贈ろう」と言い出した。年に何回か「もうすぐ○○さんの誕生日なので」と言ってお金を集めに来て、プレゼントを買って渡していた。で、ボクの誕生日はどうするのかと思っていたら、誕生日が1月5日の女子社員がいて、1月6日の仕事初めに「△子ちゃん、1日遅れだけど、誕生日おめでとう」と言ってその娘にプレゼントをあげたが、1月3日のボクは完全に無視された。たった2日ちがいでそうきたか。アホらしくなった。

 無視されるのはかまわないが、他の連中のために何度もお金を出したので、金返せと言いたくなった。誕生日にプレゼントを贈るという行為をあえて否定はしないが、やるなら全員に贈るべし、それができないならやるな。

 ちょっとおとなげない話だが、この事件をきっかけにボクは人生の方針を変えた。金輪際他人の誕生日を祝うのはやめた。主義として他人の誕生日は一切存在しないものとして扱うことにしたのである。今日はだれそれの誕生日だよと言われても、昭和天皇のように「あっそう」と答えるだけにする。

 多くの人は「誕生日おめでとう」と言われていい気になる日が一生に80回ぐらいある。ボクのような誕生日だとただの一度も家族以外の人から祝福されることがない。それでも他人の誕生日は祝福しなければならない。これだけ不遇なら性格も変わろうというものだ。年末年始、お盆、ゴールデンウィークなどに生まれた人は、生まれながらに人より幸が薄いということができる。

 1月3日といえば、ボク自身さえ正月気分にどっぷり浸って浮かれている時期だ。自分の誕生日が過ぎてから「そういえば昨日は誕生日だったな」なんてことも何度かある。おめでたい誕生日がおめでたい正月休みと重なるのは困る。祝日が土曜日と重なって損したような感じである。

 自分の誕生日が“ないがしろ”にされてきたので、自分の誕生日を軽視する癖がついてしまった。少し反省して、今後はもっと自分の誕生日を大切に祝おう。もちろん一人で。  つづき

 プレゼントの代表といえばバレンタインデーのチョコレート。誰がやり出したか知らないが、チョコレート会社の陰謀に乗せられて意味のない習慣がすっかり根づいてしまった。

 ビジネスマン時代はよく義理チョコが回ってきた。女子社員もさぞ迷惑だろうと内心同情したものだ。何の因果かチョコレートをしこたま買い込み、大して親しくもない男性社員にまで配って回る。ご苦労なことである。「もういい加減こんなバカなことはよそうよ」と言い出す人はいないのだろうか。「チョコは一切受け取らない、贈らない」と表明する人はいないのか。いないんだろうな。もっとも彼女らは普段、男からモノをもらいっ放し、おごられっ放しの人種だから、年に一度ぐらいは他人にモノを贈る立場を経験させることも必要かもしれない。

 男が女の気を引こうとする場合、モノで釣るのが一番手っ取り早い。世間の女を観察すると、みな実によくモノで釣れる。これは断言できる。「プレゼントなんて欲しくない、愛があれば」なんて女は聞いたことがない。

 男の方も心得ていて、「結婚指輪は給料3ヶ月分」などと臆面もなく言う。宝石業界の陰謀に乗せられて恥ずかしくないのか。この女にしてこの男あり、どっちもどっちか。好きにやってくれ。

 プレゼントの受け渡し作法。日本では「つまらないモノですが」と言って渡すが、西欧は「これは素晴らしいモノだ」と言って渡す文化。「つまらないモノなら渡すな」とケンカになってしまう。

 もらった相手はどうするか。ボクがたとえば彼女からもらうとすれば、家に帰って一人の部屋でニタニタしながら、包み紙を破かないように開けるのがいい。なぜか包み紙を畳んだりもする。贈る側になった場合も、その場で開けてほしくない。

 西洋人の場合、もらった人はその場で「開けてもいいか」と聞いて箱を開ける。おもいっきり嬉しさを表現し、自分がどれだけそれが欲しかったかを相手に伝えるのである。ボクにはできない。

 日本の風俗・習慣をメッタ斬りにするボクだが、プレゼント授受の作法だけは日本式がいい。


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