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  ほぼ世捨て人/1999年12月

傷心の峠ツーリング

  〜 時には辛いツーリングもある 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 1999年12月3日、金曜日、快晴。ヤビツ峠へ自転車ツーリングに行く。

 11時という遅い時間に家を出る。空は雲一つないが、北風が冷たくてなんだか寒いな。

 ヤビツ峠は標高760メートル、神奈川県内のサイクリングメッカの一つ。一応地元なので過去に十数回登っているが、今回は久々の再訪。記録を調べると約4年ぶりだ。

 秦野側から丹沢山塊を登る。行きは南斜面なので日差しが強い。だんだん体の中から暑くなり、汗が流れる。

 途中、菜ノ花台の展望所(標高約570メートル)に立ち寄る。ここから秦野市街を一望でき、遠く江ノ島、伊豆半島まで見える。

 展望所の駐車場から大きな犬が1匹、じゃれついてきた。目一杯シッポを振り、ボクの横にぴったりくっついて歩く。やけに人なつっこい犬だ。かまわないでいると、やがて諦めて他の人へまとわりつく。犬の種類については知識がないが、盲導犬として見かけるやつだ。

 しばらく景色を堪能してから出発しようとすると、さっきの犬がおばさんにまとわりついていた。おばさんが犬に話しかけた。「あんた、捨てられたのね」

 そうか、捨て犬だったのか。ボクはそこにいる数人の行楽客の誰かが連れてきた犬だと思っていた。犬の様子からそれと気づかなかったのはうかつだった。

 そうとわかったら、なんだかその犬が哀れに思えてきた。後ろ髪を引かれながら展望所を出発。峠道をゆっくり登りながら、あの犬の境遇を思った。

 飼い主がエサ代に困って捨てたのだろう。不況のせいで失業でもしたのか。随分大きな成犬で、毛並みもいい。何年も飼われていたに違いない。捨てた奴はどんな気持ちだったか。

 ボクは大の動物好きなので、生き物は一切飼わない主義を貫いている。経済的・時間的にそんな余裕がないのも大きな理由だが。不思議にも無責任な飼い主に怒りは感じなかった。これだけ高い山の中なら戻ってくる心配はない、行楽客がエサをやってくれるだろうという目論見か。

 あの犬は愛敬をふりまいてエサをもらわないと明日の命さえもわからない。犬の過酷な運命に自分の生活を重ねてみる。ボクも仕事を見つけないと年を越せない“その日暮らし”の人生だ。が、それは自分の責任であり、好きで選んだ人生だ。あの犬には何の責任もないし、選択肢もない。ボクなんか遥かに幸せじゃないか。

 ゆっくり流れる路面を眺めながら、なんだかやりきれない気分になった。

 峠の頂上に着く。下りに備えて、脱いでいたパーカーを着込み、帽子をかぶり、手袋をつけ、マフラーをまく。下りは北斜面なので、一転して真冬の寒さとなる。これだけ防寒対策をしても、下り始めるとやはり寒い。鼻水を垂らしながらのダウンヒルとなる。

 峠道ツーリングでは、登る距離の短い方、つまり急坂の方から登り、傾斜の緩やかな方へ下るのが一つの鉄則。その方が長い下りを楽しめるからだ。ヤビツ峠の場合も、秦野側から登り津久井側に下ること。その逆は労多く益少なし。

 中津川の深い渓谷をうねるように下っていく。日の当たる場所では落葉が黄金色に輝いている。ヤビツ峠のツーリングは、夏場より秋から初春の冬枯れの時期がいい。木の葉が落ちて景色の見通しがよくなるからだ。ただ冬場は積雪を見る日も多いので注意。

 かなり下ったところで、右手に突如湖が出現。こんなところに湖なんかなかったぞ。そうか、ついに今世紀最後のムダが…いや、ダムが完成したらしい。宮ヶ瀬ダムである。  つづき

 今日は時間がないので、宮ヶ瀬ダムの見物はカット。その手前の宮ヶ瀬大橋を渡って厚木・伊勢原方面へ引き返すことにする。ダム湖の東岸沿いの県道を七沢温泉方面へ向かう。

 宮ヶ瀬大橋から厚木へ向かって数百メートル行くと、右手に小さな園地がある。

 ここで掲示板の地図を見ていると、ネコの泣き声がする。捨て猫だ。それもまだ子供、人間で言えば小学校6年生ぐらいか。実はボクは子供の頃から自他ともに許す無類の猫キチ○イなのだ。腹が減っているのだろう、この世のものとも思えないほど哀れな泣き声だ。まずいなー。

 子ネコは誰に対しても怖がることなく(怖がっている余裕などないのだ)、だれかれ構わず近づいてエサをねだっている。さっきの犬と同じだ。だが、人はちらっと見るだけで、誰もエサをあげようとはしない。もう何日ここにいるのだろう。

 おっ、こっちにやってきた。さっきの犬のことが心に引っかかっていたので、すぐにポケットから非常食のチョコレート(ピーナッツ入り)を出してネコにあげた。最初歯が立たないようだったが、うまくかみ砕いて食べた。

 なでるとニャーンと言いながら一生懸命頭をこすりつけてくる。まずいなー。

 ボクがそばの水飲み場で水を飲むと、そのネコもやってきて、伸び上がるようにこちらを見ている。喉が渇いているようだ。抱き上げて水飲み場の上に乗せ、蛇口を少し開けて水を流してやる。ネコは5分以上も水を飲み続けた。よほど喉が渇いていたらしい。あるいは舌の使い方がまだヘタなのか。

 チョコレートをあげ、水をあげたら、ネコはもう離れない。ボクの後をついて歩くようになった。まずいなー。

 ボクが立ち止まると、脚に両手をかけて伸び上がり、こちらを見上げて泣く。「ぼくをつれてかえってよー」と言っているのが痛いほどわかる。

 そこへ葬式帰りの一行がやってきた。ネコはそのグループの方にエサをねだりに行った。小さいながらたくましいのが救いだ。その姿を見届けてから、ボクは逃げるようにして自転車にまたがった。
「誰かに拾われるまで生き延びるんだぞ」

 走り出してから頭の中はもうネコ一色。何を見てもあのネコにしか見えない。

 あの園地は標高300メートルの山の中。回りに民家などはない。雨の日は人も来ない。誰にも拾われなければ、多分この冬は越せないだろう。

 ボクは40歳を過ぎたこの年で女房も子供も養う財力を持たないが、そんなことは少しも恥ずかしいとは思わない。だが、今日ほど自分の生活が情けないと思ったことはない。40年以上生きて子ネコ1匹養う余裕もないとは…。あんな寒空の下にネコを置いてきた自分が情けない。

 気分の晴れないツーリングになった。帰宅して飯を食っても、テレビを見ても、ネコのことが頭をよぎる。今ごろどうしているのだろうか。明るい部屋で熱いラーメンをすする自分がうらめしい。

 読者にはぜひヤビツ峠に行ってもらいたいので、罪滅ぼしの意味もこめてこのコラムを書く。なるべくツーリングに役立つガイドとした。多少なりとも生活に余裕のある人は、ネコを見つけたらなんとかしてやってほしい。犬の方は無理だろうが。

 ウー、それにしても今夜は冷えるな。家の中でもこんなに寒いんだから、外はさぞや…。
 まずいなー。


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