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  ほぼ世捨て人/1999年12月

誰も止めない暴走族

  〜 本気でやらない暴走族対策 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 テーマは暴走族。ボクは暴走族とは特に相性が悪いのだ。暴走族と相性のいい人ってどんな奴か?たとえば若い頃不良だったことを大人になっても勲章のように自慢するバカがいるが、そういう奴とはちがうということ。

 暴走族はボクのような一匹狼とは対極にある人種。いつも群れをなし、一人では何もできないところが実にかっこ悪い。しかも連中は外見によらず極めて封建的で(上下関係や言葉遣いにうるさい)、画一的(制服や旗を持っている)なところも先天的に嫌いだ。

 暴走族は裕福な家庭の息子も多い。一種の文明病でもある。よその国のような貧困による非行とは根本的にちがう。父親が仕事に忙しくて子供のしつけに参加しないことにも原因がある。父親不在の母子家庭と同じである。子供と接する時間が極端に少ないから、小さい頃から甘やかして育てる。その結果、親の制御の効かない子供ができ上がる。

 暴走族問題、なぜか親の責任がほとんど問われないのは不思議である。14〜18歳の未成年者が深夜に暴走し、人に迷惑をかけているのである。彼らの両親は一体何をしているのか。何をしてるかって寝てるに決まっているのだが、夜中に子供が出歩いているのに保護者が知らなかったでは通らないだろう。子供を逮捕するなら、その親も一緒に逮捕すべし。しつけの義務を怠り、バイクやクルマを買い与える親も同罪である。

 百人の暴走族が集まれば、その後ろには二百人の困った親がいる。

「でもうちは放任主義なので」

 放任主義とは、よい子だけに特例として認められたしつけ方針だ。夜中に息子が暴走するのをほったらかしにするのは放任ではなく野放しというのだ。

 「息子が言うことを聞かなくて」というなら、せめて会社を休んで息子と対決するぐらいのことをせよ。少なくとも息子より腕力があるうちは父親の責任だ。

 一時減った暴走族も最近また活発化。ボクの家は幹線国道から直線で150メートルの距離にあるので、深夜にかすかに爆音が聞こえる。

 県警の暴走族取り締まりの基本方針は「追尾に徹する」というものだ。早く言えば、何もせずに後ろをついて行くだけである。深追いして転倒してケガでもされちゃ困るからだ。暴走族対策とか取り締まり作戦などと呼ぶのはおこがましい話である。  つづき

 一般市民に対しては、駐車違反だ、二段階右折だと小さな違反でも厳しく取り締まるのに、危険な暴走族は野放しとはどういうことか。ボクは昔々、傘をさして自転車に乗っただけでおまわりに怒鳴られたり、無灯火で自転車に乗って職務質問されたことがある。が、暴走族に対しては交番の前を通り過ぎても知らんぷり。これでは警察の仕事は弱いものいじめだと言われても仕方がないだろう。

 バイクの集団暴走行為を禁止する法律を作り、これで暴走族は一網打尽…、と思ったのは甘かった。法律を作っても取り締まらないのでは絵に描いたモチである。

 暴走族取り締まりのドキュメント番組がよくあるが、これが単なるイタチごっこで、救いようのない茶番。警察のやる気のなさがよくわかる。組織として暴走族取り締まりに本気で取り組んでいないのである。あれが本気だというなら大変だ。子供の暴走を止められずに暴力団や組織テロにどうやって立ち向かうつもりか。

 暴走族の増加、凶悪化は警察の無策が招いた結果だと言える。もっとも一生懸命族を捕まえてもすぐに釈放され、暴走活動に復帰するのだから、現場の警察官もやる気が出ないだろう。

 ボクが提案する暴走族取り締まり基本方針は三つ。ただし法改正も必要。

   (1) 両親の逮捕
   (2) 免許一生取り消し
   (3) 暴走車両の没収

 しかし、暴走族がいなくなると困るのは警察かもしれない。仕事が減り、手当てもボーナスも減ってしまう。暴走族取り締まりは警察や機動隊にとって失業対策事業のようなもの。暴走族は大切なお客さん。生かさず殺さず取り締まろう。私たちはパトカーで後ろからソロソロとついて行くだけにしますから、存分に暴れて下さいな。そんなところだろう。そうでなければ、成果の上がらぬ取り締まりを延々と続けるわけがない。

 今年もまもなく恒例の“日の出暴走”の時期。莫大な税金を使った大がかりな取り締まり。多くの警察官や機動隊が駆り出される。

「年末年始の特別出勤は手当てがいいからね。日の出暴走がなくなったら一番困るのはわれわれ警察官だよ。」

と言ったかどうかは知らない。


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