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  ほぼ世捨て人/2001年1月

表の顔とウラの顔

  〜 人は皆ジキル博士とハイド氏 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 数日前から仙台の筋弛緩剤投与事件がマスコミを騒がせている。准看護士が患者に筋弛緩剤を点滴して殺したと自供。点滴を受けた10人前後の患者が容体急変して死亡しているという。現在捜査中だが、もし同一人物による犯行だとすると無差別大量殺人に発展する可能性がある。

 人を救うべき看護士による無差別殺人とすると、マスコミは動機がわからないと首をひねるが、人間の欺瞞(ぎまん)、二面性からいえば十分ありうることだ。

 連続放火の犯人を捕まえてみたら消防団員だったという事件がある。自分で火をつけて自分で通報し、自分も出動して火を消していたという。アメリカでも連続放火の犯人が消防署勤務の男で、その事件の捜査を担当していたという話がある。

 統計を取ってみれば、放火魔に多い職業はひょっとすると消防士かもしれない。消防と放火。この二面性こそ人間の本性ではないか。

 人の行動はしばしばコンプレックスや偽善といったことが原動力になる。心と正反対のことを言い、自分にないものを求め、欲望とは逆の行動を取ることがある。つまり消防士だから火をつけたくなった。あるいは火をつけたいから消防士になった。

 買春条例違反、未成年者へのわいせつ行為で捕まる学校の教師が少なくない。毎日ピチピチの女子生徒を見せられてムラムラしているからかもしれない。最近はスカートが随分短くなり、教師にとっては試練の時代かもしれない。あるいはロリコンだから学校の先生になったという人もいよう。いずれにしろ「生徒を立派な人間に育てたい」という気持ちと「イタズラしたい」という気持ちが一人の人間の心に同居しているわけだ。理想と欲望はかくもギャップがあるものか。

 警察官による不祥事。ひき逃げ、覚醒剤、傷害事件、捕まえてみたら警察官だったということはめずらしくない。警察官という職業はひょっとして一般市民より犯罪率が高いのではないか。

 悪を取り締まるという志を持って警察官になったはずだが、その裏には自分の心の悪に対する反動があるのかもしれない。アメリカなど犯罪の多い国では犯罪者と警察官は紙一重。警察官にならなかったら犯罪者になっていた、という人は多い。  つづき

 日本ではめずらしい連続殺人事件、男女8人を殺害した勝田という男。去年死刑が執行されたが、彼の職業は人命を救うレスキュー隊員だった。これは極めて象徴的である。命がけで人を救出する一方で、勤務を離れるとせっせと人を殺していたわけだ。人の命などどうでもいいという本心があり、それとバランスを取るために人の命を救う職業を選んだと考えられなくもない。

 人の命を救うべき医者による殺人というのも少なくない。地下鉄サリン事件の実行犯の一人は医者だった。エリート医師が自分の妻子3人を殺害した「つくば母子殺人事件」。イギリスではある医者が患者百数十人を薬物で殺害したことが判明し、いま大騒ぎになっている。

 人間、外の顔と内の心はちがうもの。普段、友情とか義理人情にうるさい人ほど、仲たがいするととことん卑劣になる。「俺とお前は友達じゃないか」と腕を回してくる奴ほど、いざという時に友達を平気で裏切ったりする。人は自分にないものを誇示したがる。友情の押し売りをする奴には要注意だ。

 古今東西、「世のため人のため」と称する宗教は殺人と結びつきやすい。人々の救済を唱える信者が平気で人を殺すのだから、人間ほど信用ならぬ動物はいない。

 ボクの卑近な経験からいうと、宗教を信じている者ほど下衆(げす)な人間が多い。世俗を超越しているはずの坊主が俗人そのものだったりする。内面の煩悩が人一倍強いがゆえに「世のため人のため」という美辞麗句にひかれたのだと言えないこともない。とにかく偽善的な人間には気をつけよう。

 昼は貞淑な妻、夜は娼婦。昼はまじめな勤め人、夜は殺人鬼。程度の差はあれ、人は誰でも二重人格であり、ジキル博士とハイド氏なのか。これはとても深いテーマであり、ここで簡単には語り尽くせない。

 サイト運営者だってホームページの顔と実生活の顔は違うのが普通だろう。ボクなどまさにその典型で、実像と虚像が違うことにかけては日本屈指である。実生活でのボクは誰よりも常識人として振るまい、平凡で自己主張のないつまらない大衆のフリをして生きている。それが世を渡る仮の姿、虚像であり、このサイトのボクが実像である。


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