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  ほぼ世捨て人/2001年8月

健康な人が損する健康保険

  〜 不健康な人のための健康保険 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 先日、病院で健康診断を受けた。うちの派遣会社が新しい職場に配属するにあたり検診を受けろというので、会社の費用で受けたのである。

 健康診断を受けるのは久しぶり。前回受けた健康診断といえば、某企業の期間従業員をやっていた頃に会社の定期検診を受けたのが最後、それ以来10年間検診を受けていなかった。

 健康には自信があるし、医療を信用していないので、自分から進んで検診を受けるということは絶対にない。悪くもないのにあら捜しをし、小さな異常を見つけて手術するなんて意味がないだけでなく危険なことだと思っている。

 それはともかく、体は極めて丈夫であり、診断結果なんて受ける前からわかっていた。結果は予想通り、この年齢にしては申しわけないくらいの健康体。命取りになる内臓疾患は一つもない。もっとも、自己申告はしなかったが、本当は蓄膿症と軽い腰痛をかかえているのだが、この程度はボク的には病気のうちに入らない。

 今回の検査項目を一通り追ってみる。

 身長、体重の測定。体重は54キロを割っていた。若い頃は58キロぐらいがベストだと思っていたが、中年になって太るどころか4キロも軽くなっている。見た目はそんなにやせていないので筋肉の量が減ったのだろう。食費を切りつめ、ムダ飯は食わない生活だから、中年太りとは縁がない。

 視力、聴力、ともに問題なし。視力はかつて0.3ぐらいにまで落ち込んだものだが、今回左右とも1.2とは驚いた。パソコンやインターネットを始めてから読書量が激減したため、近視が改善されたようだ。ディスプレイから1メートルも離れているので、何時間パソコンを使っても目が疲れない。

 胸部レントゲン、心電図、尿検査、血圧、いずれも正常。粗食と摂生を余儀なくされているので糖尿病なんかになるような人生ではない。

 昔から医者いらずである。なにしろ一番最近フツーの医者(目医者、歯医者を除く)にかかったのはいつだったか思い出せないくらいだ。無理して思い出すと、たしか小学生か中学生の頃、食べ過ぎで下痢が続いて病院に行ったのが最後だったと思う。それ以来30年も医者にかかっていない。もはやボクの辞書に医者という文字はない。

 「健全な精神は健全な肉体に宿る」とはボクのことだ(?)。

 社会と相性のきわめて悪いボクだが、ストレスに耐え、不遇をかこちながらも健全な肉体を維持してきた自分をエライと思う。なんの不満もなくのうのうと生きている連中より健康なのは奇跡である。

 過去に何年か国民健康保険に加入したことがあるが、まったくのムダだった(ばかばかしいので今は加入していない)。いままでに支払った健康保険料の総額は優に100万円を越えるだろう。実際に保険を使ったのは、2、3度虫歯を治療したときだけ。他人の病気を治すために100万円払ったようなものだ。これからはボクを慈善事業家と呼んでほしい。

 健康保険は欠陥制度である。健全な人も、酒とたばこにまみれた不健全な者も同じ保険料を払う、なんという不公平な制度だろう。健全な人が不摂生のツケを払わされているようなものだ。アメリカでは喫煙者の保険料が高く設定されているが、当然そうすべきである。酒を飲み過ぎて肝臓をこわすなどは百パーセント本人の責任、こういうのを健康保険でカバーすべきではない。  つづき

 健康保険は健康な者が損をするシステムである。こんなものがあるから人は安心して不摂生を続け、体に無理をかけ、病気やケガにつながるのである。自動車保険は交通事故を増やし、健康保険は病人を増やす。健康保険も老人福祉も一切やめてはどうか。

 保険料の不公平はまだある。被保険者が妻帯者の場合、その扶養家族まで保険が効くことになっている。その費用をだれが払うかというと、独身者が割高な保険料を払うことで補っているのである。ボクの払った保険料が他人の女房子供の治療費に使われるのは納得いかない。

 国民健康保険は自治体の健康保険組合によって運営されるので、自治体により保険料が異なる。自転車で日本一周する際に実家に住民票を移したことがある。転入届のとき健保の窓口で年収を聞かれたので、適当に「400万円ぐらい」と答えたら、保険料を月4万円(!)も取られた。

 健康保険は、病気の予防措置(たとえば健康診断や虫歯のチェック、歯垢の除去など)には適用されない。これは本末転倒であり、予防のための費用こそ保険で厚くカバーすべきである(アメリカの保険制度はそうなっている)。

 日本では、健康保険のせいで余計な治療をすればするほど患者も病院も得をするしくみになっている。健康保険が病人を増やし、ムダな治療や検査、投薬を増やし、医療費をふくらませる元凶である。アメリカの健康保険は治療の妥当性チェックがきびしく、余計な治療をすれば医者は保険医の資格を取り消されたりするから、本当に必要な治療しかできないしくみになっている。これがいいのである。

 ボクぐらい健康で貧乏だと、そもそも病院に行くという発想がない。常人ならすぐに病院にかけこむようなケースでも命に別状がない限りは行かない。

 2年ほど前、最も貧乏だった頃、仕事でケガをした。イスの上に立って作業中、転落して土踏まずを鉄パイプに強打。痛みをこらえて帰宅したが、どんどん痛みが増し、足が倍ぐらいに腫れ上がって歩けなくなった。これはもう骨折にちがいないと思った。

 当時は1日働いて交通費・食費を除き正味6500円ほどの薄給。銀行口座には数万円入っていたが、それはとても苦労して貯めたお金だった。日雇い労働者のように毎日仕事を探し、毎回変わる職場で不慣れな作業をし、一ヵ月以上かかってやっと貯めたのである。骨折となればこのお金は治療でパーになり、苦労が水の泡だ、それがどうしても耐えられなかった。病院には行くまい、単純骨折なら放っておいても骨はつくさ、と考えた。

 その夜は一晩中激痛でうなったが、家でじっとしていたら3、4日で痛みがやわらぎ、1週間ほどでヨロヨロ歩けるまで回復。結局、骨折ではなかったのだが(ヒビぐらいは入っていたかもしれない)、たとえ骨折であっても自分で治していただろう。

 こういうツワモノの場合、常人と同じ保険では損をするに決まっている。

 健康保険に加入するくらいなら、その保険料を毎月貯金した方が得だ。毎月2万円積み立てれば、10年で利息を足して300万円になる。これだけあればたいていの病気は治せる。それで治らないような病気はあきらめる。医者にかからずにすめば、この積み立てはまるまる老後の貯蓄に回せる。年をとって治療代がかさむ頃には積み立て額もそれに見合って増えているから心配はない。

 そう考えれば、健全な人にとって健康保険などまったく存在意義がないことがわかる。あれは不健全な者が家族を養うためにあるのだ。


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