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  ほぼ世捨て人/2001年11月

序列社会

  〜 天は人の上に人を作った 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 ヒトは序列を作る動物の一つ。ヒトの中でもとりわけ日本人がそうだ。

 あらゆる具にもつかないことを理由に順位をつけたがる。日本人が二人寄ればたいてい上下関係が生まれる。

 序列を決める最大の要素は年齢である。みな目上の人はエライと思っていて(そもそも目上ってどういう意味?)、だれも疑問をはさまない。なぜお年寄りを大切にしなければいけないのか、なぜ若造は大切にしなくてもいいのか説明がない。そういうものだという前提が最初から存在するのである。

 日本の社会にはいろいろな序列グループ(群れ)が存在する。学校、職場、地域社会、宗教、サークル…、それぞれ独立した序列をもっている。

 たとえば職場では、役職、入社年度、年齢などを基準に序列が決まる。

 一つの部署のメンバーは1番から順に暗黙の順位が決まっている。同格の者もいるが、基本的には自分の上には上がいて、下には下がいる。これはイヌやサルの群れと同じである。

 天は人の上に人を造り、人の下に人を造った!

 順位の上下に応じて使う言葉遣いが決まっている。先輩・上司、同期の同僚、後輩・部下、それぞれ「〜です」、「〜だよ」、「〜だろ」などと区別する。一人称も「私」、「僕」、「俺」などと使い分ける。相手の名前を言う場合も、順位に応じて呼び捨てにするか、「〜さん」、「〜くん」、「〜ちゃん」といった接尾辞をつける。

 サルが頻繁にマウンティングや毛づくろいで順位を確認するように、日本人はコトバによって常に他人との上下関係を明示しなければならないのである。

 ただ女はこの限りではない。社長が女子社員を“さん付け”で呼ぶ。OLが上司に「〜だよね」とタメ口をきくのは珍しくない。  つづき

 女は職場の序列に組み込まれていないことがわかる。職場は基本的に男の世界なのだ。あるいは男の序列と女の序列は独立しており、両者が組み合わさって職場の序列ができているともいえる。

 ドラマなどでは男の上司が部下のOLを“クン付け”で呼ぶが、現実社会では聞いたことがない。これは視聴者が上下関係を正しく把握できるよう、あえてそういうセリフにしているのだろう。

 日本人は兄弟姉妹まで年齢で区別する。双子の兄弟にさえ「どっちがお兄ちゃん?」と無意味なことを聞く。上下の区別をつけないと人間関係が理解できないのだろう。

 学校教育でも序列は守られる。学力があってもアメリカのような飛び級はない。学年の区別は学力差を表すのではなく序列を表しているからだ。いくら勉強ができても1年生は1年生、いくらバカでも3年生は3年生という認識である。

 体育会系の序列信仰は特に根強い。小学生や中学生の運動部員がたかだか1、2年先輩のくちばしの黄色い子供に敬語を使っているのを見ると気色が悪い。こんな小さなころから序列根性を植え付けられるのである。

 目上の人を敬うとか年上の方がえらいというのは道教の影響を受けた東アジアに根強い習慣。日本人はよく欧米人に年齢をたずねて失敗する。相手の年齢がわからないと言葉遣いや態度が定まらないからだ。欧米にはそんなプライベートなことをたずねる習慣がない。

 ボク自身は序列意識がきわめて希薄な人間。年上と年下を区別するのが面倒。40年以上生きてきて「最近の若いもんはナッテナイ」と思ったことがない。若者から年寄りまでまんべんなくナッテナイと思っているからだ。

 順位に応じて言葉を使い分けるのもきらい。根っからの一匹オオカミ。「人を使わず人に使われない」が口グセ。序列を拒否しているわけだ。

 ボクにとって日本はうっとうしい社会である。


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