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  ほぼ世捨て人/2001年11月

何のために働くのか(2)

  〜 あやまった労働観を正す 〜

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● 仕事が生きがい?

 人が一生のうちに費やす時間で睡眠の次に多いのが仕事。この世で最も幸せなのは仕事が好きな人だろう。好きなことをやって、なおかつそれでお金がもらえるのだから二重の喜びだ。この世で最も不幸なのは仕事が嫌いな人。つまりボクである。

 働いて楽しいと思ったことは一度もない。仕事自体が退屈でつまらないのはもちろん、組織も人間関係もすべてつまらない。過去の仕事上の不愉快な出来事がいくつかトラウマになっているくらいだ。ボクにとって働くことは人生にまた一つ嫌な思い出を追加することでしかない。

 どうせ失う時間なら、自分の好きなことを仕事にする、つまり趣味と実益を兼ねるのが一番いいことに異論はない。ただし、「好きなことを仕事にする」のと「仕事が好きになる」のとでは意味がだいぶ違う。

 好きなことを仕事にできる人は非常に少なく、一部の自由業に限られる。大半の人は組織の中で与えられた仕事をやるうちにそれが好きになっていくケースだ。芸術家やスポーツ選手ならいざ知らず、人に使われる分際のサラリーマンで仕事が楽しいというのはマインドコントロールにかかった結果である。

 ボク自身は残念ながらマインドコントロールが効かないタイプなので、相変わらず仕事と生きがいを区別している。生きがいは他人から与えられるものではないと信じている。働くことが生きがいだなんて勘違いできる人がうらやましい。

 昔、スタミナドリンクのCMに「くやしいけど仕事が好き」というコピーがあったが、ボクはくやしいけど仕事がキライ。

● 仕事で自己実現?

 「働くことで自己実現を図る」という人がいる。この言葉の意味がよくわからないのだが、2通りの解釈が考えられる。一つは、働くことで資金を稼ぎ、自分の夢(マイホームを持つ、ヨットで世界一周するなど)を実現するという解釈だが、どうもそういう意味ではないようだ。  つづき

 もう一つは、地位や名誉、高収入を獲得することで自分の存在意義や生きている証しを得るという発想。多分これが言わんとする意味なのだろう。

 組織の中で出世の階段を昇ることのどこに意義があるのかはよくわからない。出世が自己実現だというならアナタの人生の価値は会社の評価によって決まることになる。こういう発想にはついていけない。会社や仕事を取ったら価値のない人間だと自ら認めているようなものだ。

 ボクは会社人間なる人種を激しく軽蔑している。日本には定年退職後に生きがいを失って抜け殻のようになる人がたくさんいるそうだが、ウッソー信ジランナ〜イという気持ちである。

 ボクは仕事以外の部分で自己実現を図る。人生でやりたいことは仕事や会社とは一切関係がない。関係がないどころか、仕事は自己実現の最大の障害である。

 今から老後が楽しみで仕方がない。若い頃から退職後の生活を夢見ていた。1日のすべてが自分の時間で、好きなことに没頭できる、これぞこの世の天国。さびしい老後なんてまったく考えられない。退職後こそボクの自己実現のチャンス、人生の本番だと思っている。

 注意しておきたいのは働かないことと怠けることはまったく違うということ。労働よりもっと意義のあることに一生懸命打ち込みたいのである。

 隠居とは実にいい響きではないか。考えうる実現可能な最高の身分である。隠居したらあれもしたいこれもしたいと夢がたくさんある。バイクで放浪の旅に出るのもその一つ。水戸黄門のごとく全国を漫遊する。世直し旅ならぬ世捨て旅。「お仕事は?」とたずねられたら「越後のちりめん問屋の隠居、AZMAです」と答えるのが夢だ。

<続く>

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