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  ほぼ世捨て人/2001年11月

何のために働くのか(3)

  〜 あやまった労働観を正す 〜

ほぼ世捨て人もくじ


● 仕事で社会に貢献?

 社会の悪のほとんどは労働が生み出している。公害、環境破壊、政治腐敗、特殊法人、宗教団体、詐欺商法、ムダな公共事業…、これすべて労働による結果である。働くことで社会に貢献するなんて大いなる勘違いというべし。

 社会悪の大半は組織犯罪であり、個人でできる悪事なんてたかが知れている。人は仕事を通じて一人ではできないほどの悪事を働き、社会に迷惑をかけるのである。

 ボクは人よりずっと働かなかったが、それでもずいぶん社会に迷惑をかけたと思う。たとえば過去に3ヵ月間、自動車工場で働いてクルマの生産に加担した。ボクの作ったクルマで何人が命を落とし、その排気ガスで何本の木が立ち枯れしたか知れない。

 世のため人のために働くというのはウソだ。人は自分が食べるために働く。会社は利潤を追求するために活動する。製薬会社は人々の健康のために薬を作っているわけではない(CMではそう言っているが)、利益を上げるために作るのであり、採算がとれなければもちろん作らない。

 農家は消費者のために農作物を作っているわけではない。だから豊作で採れすぎたキャベツはトラクターで踏みつぶす。そのまま出荷したら市場価値が下がって採算割れを起こすからだ。そのキャベツで飢えに苦しむ人が何人助かるかなんて考えたら農家は勤まらない。

 労働は社会のためになることもあるが、同時に社会悪も生む。差し引きトータルでは悪の方が圧倒的に多いのではないか。働くことで社会に貢献するというのはうぬぼれ、偽善である。社会のために働きたいという人がいたらボランティアでもしろと言ってやるのが正しい。  つづき

● 仕事で自分の能力を試す?

 アルツハイマー病とは頭を使わない人がなるもんだと思ったら、近年、働き盛り(いやな言葉だ)の優秀な中年サラリーマンにアルツハイマーが増えているそうな。原因は決まりきった仕事ばかりやって頭を使わないからだという。なるほど、さもありなんだ。

 会社員の仕事の大半はやり方の決まったルーチンワークである。分業制だから一人の人間が手がける作業はごく狭い範囲に限られる。慣れてしまえば頭を使わずにできる仕事が多い。上司に気は使っても、頭の方はさっぱり使わない。

 何の趣味も持たずサラリーマンを10年、20年と続けたら、どんな優秀な人間もバカになって不思議はない。特に公務員の場合、おおむね5年でバカになると思う。

 仕事とはいやになるくらい同じことの繰り返しである。人間が1万種類の能力を持っているとすると、働くことはそのうちの10個の能力だけ徹底して使い、残り9,990種類の能力を捨て去る、あるいは持ってないふりをすることである。

 労働者に要求されるのは、その仕事に必要なだけの能力を発揮すること。それ以上でも以下でもいけない。組織の中で働くとはそういうことだろう。仕事より趣味に没頭する方がよほど頭を使うのである。

 仕事で自分の能力を試したい、才能を伸ばしたい、可能性を広げたいなどと言う人間が跡を絶たないが、気は確かかと言いたい。

 出世に興味のないボクにとって、組織で働くとはまさに能力を隠すことだった。特にフリーターになってからは、働くことはバカなふりをすることと見つけたり。現場の上司にも理屈のわからないバカが少なくないので、そういう連中と仕事をするにはある程度レベルを合わせないとうまくいかないのである。仕事に対しては何のプライドも持っていないから、どんなデクノボウでも演じることができる。職場ではバカボンのパパのごとくふるまっておる。仕事ができても給料が増えるわけじゃないからこれでいいノダ。

 自分の能力を社会のために使わないこと、これが社会に対するボクの抵抗である。


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