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  ほぼ世捨て人/2002年1月

早メシ早グソ無芸のうち

  〜 はた迷惑なせっかち人間 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 せっかちな人というのがいる。じっとしているのが苦手。何事もせかせかと処理しようとする。トイレ、食事、入浴、着替え、仕事、何をしても早い。時間がなくて急いでいるのかというとそうではない。他にやることは別段ないのに物事をテキパキやらないと気がすまない人、これをせっかちと言う。

 せっかちは性格の一つである。時間がなくてせかせかしている人をせっかちとは言わない。単に急いでいるだけだ。

 日本人は早メシの国民である。エンジニア時代、よく同僚と一緒に昼食をとったが、連中のメシの早さにはついていけなかった。何人かで食事をしてもみな数分で食べ終わり、いつもボクだけ取り残される。せっかくの食事をろくに味わうことなくせかせかと食わねばならないので損をした気持ちになる。奴らには食事を楽しむとかじっくり味わうという発想はない。ひたすら口に放り込み、かまずに飲み込む。一体何が楽しくて生きているのか。あーいやだいやだ。こんな味気ない連中と同じ人生を歩みたくない。そう思ってエンジニアを辞めた、というのは冗談だが、遠因の一つではあろう。サラリーマンと食事をするのは本当にいやだった。

 こんな連中の中にもグルメを気取るのがいて、食事中に聞かれもしないのにこれはマズイとかどこそこの店はもっとマシだなどと能書きを垂れるので、なおさら腹が立った。

 麺類や汁物をズルズル音を立ててすするやつが多い。「すする」、「吸う」というのは早メシ人種・日本人の特徴。麺などを急いで食べようとするとそうなる。ボクはソバもラーメンも一切すすったことはない。別に西欧のエチケットを礼賛するつもりはない。ただゆっくり食べるとすする必要がないので、そういう下品な食べ方は身につかなかった。

 早メシ早グソ芸のうちという。仕事中毒でせっかちな国民性をよく伝えた恥ずかしい言葉である。食欲を満たすためだけの食事。じっくり食事を味わう心の豊かさはない。ひたすら目的達成だけをめざし、時間効率を追い求める目的直行型人間。このタイプは早いことに価値があると思っている。物事の過程を楽しむとか風情を味わうといったことができない。食欲と性欲はつながっているから、こういう人間はきっと早漏にちがいないのだ。科学的根拠はないが。

 車の運転となると、せっかち人間の特徴はいかんなく発揮される。スピード狂、1メートルでも前に出ないと気がすまないやつ、車間距離を徹底的に詰めるやつ、遅い車を後ろからあおるやつ、しょっちゅうクラクションを鳴らすやつ、右折・左折で歩行者が横断歩道を渡るのを待てないやつ、路地から出るとき停止線で止まれず通りにはみ出るやつ…。交通事故を起こしやすい性格の筆頭がせっかちだ。彼らは1秒を惜しんで命を落とす愚か者なのだ。

 交差点の右折待ちでじっと待てないやつがいる。原付バイクで巡航速度50キロで交差点に進入するとする。このとき右折待ちの対向車が直進車の通過を待ちきれずにジリジリとはみ出てくることがある。この速度で衝突すればこっちは命がないから、右折車が少しでも動けば自動的にブレーキを踏むことになる。おとなしく待っていれば早く右折できるものを、待ちきれずに動くからかえって遅くなる。バカな話である。早く右折したかったらピタッと停まって待ってろ、この早漏野郎め。  つづき

 日本人はテンション民族だと言われる。西欧諸国で一番せっかちでテンポが早いのはアメリカ人だが、そのアメリカも日本に比べれば随分のんびりしている。クルマの運転はモタモタしてスムーズに流れない。銀行や空港のカウンタの応対も遅い。万事テキパキ、スムーズに事が運ぶのが当たり前だと思っている日本人は向こうへ行くとイライラする(らしい)。

 せっかち人間は仕事の能率がいいから重宝がられる。のろのろやってる他人がバカに見えるから本人も能力があると勘違いしやすい。○か×か単純明解、割きりのいいデジタル思考で判断も早い。その反面、いい加減で雑。何も考えずにできる単純な仕事を効率よくやらせるにはいいが、丁寧に仕上げるとか、工夫、発明したり、創造したりといったことには向かない。

 せっかちは常にアクセルを踏み続けているのと同じであり、高血圧や脳卒中につながりやすい。せっかちで精力的、競争心が強く負けず嫌い、攻撃的で短気。これはA型行動パターンといい、心筋梗塞や狭心症になりやすい性格として知られている。

 せっかちの対極にあるのんびり、おっとり型とはどういうものか。実はボクがその典型である。完全主義なので腰を据えてじっくり取り組むが、細部にこだわり、能率は悪い。あくせくするのが嫌い。ときに世の中のテンポについていけてないのではないかと感じることもある。

 しゃべるのも遅いし、自慢じゃないが頭の回転も遅いのだ。よく言えば物事を深く考える沈思黙考タイプ。ときにぼうっとして思索にふけることもある。物事に退屈するということがない。

 バイクを運転していてイライラすることは少ない。目の前で信号が赤に変わっても腹が絶たない。本当は時速40キロぐらいでのんびり走りたいのだが、周囲のことを考えるとそうもいかない。

 キーボードの打鍵は速いが、これは世間の打鍵が遅すぎるだけだ。動作は機敏で歩くのは速いが、これはせっかちではなく単に急いでいるだけだ。東京人は歩くのが速いと言われるが、ボクはたいていの東京人より速い。歩く時間は何も生み出さないからだ。もちろん散歩やハイキングの場合は別だが。

 のんびりというとぐうたらと混同されやすいが、両者は違う。ぐうたらは楽をすること第一主義。のんびりは楽しむこと第一主義。楽しむことに関してはあくまで貪欲であり、たっぷり時間をかける(必要があれば急ぐが)、それがのんびり主義だ。

 せっかちとのんびり、どっちがいい悪いとは言わないが…いや言ってるか、ならばはっきり言おう。つまらない事にアクセルを踏み続けるのはいやだ。我田引水、のんびりの方がずっといい。急いては事をし損じる、あわてる乞食はもらいが少ない、短気は損気とも言う。本当の豊かさを感じることができないのは人生の大いなる損失ではないか。しかも早漏である。

 せっかちな方が一生のうちにたくさんのことができると思うかもしれないが、脇目もふらずに取り組むというのは、言いかえれば何も考えずひたすら働いてメシ食ってクソして寝るだけの人生ではないか。そういう人生からは芸術も娯楽も生まれない。

 道草を食いながらじっくり取り組むからこそあれこれ考え、感じ、生み出し、また心底趣味を楽しむこともできる。ボクがせっかちだったら『世捨て人の庵』なんてムダなサイトは生まれなかった。


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