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  ほぼ世捨て人/2002年2月

職業選択の不自由(1)

  〜 ボクの職業遍歴、就職編 〜

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 大人になったらなりたい職業が誰にもあったと思う。子供の頃、野口英世がやけどを克服して医者になった話を読んで医者になろうと思った。野球少年だった頃はプロ野球選手になりたいと思った。単なるあこがれである。

 小さい頃の夢を持ち続けて大人になってその職業に就いたという人は少数派ではないか。いろいろな偶然が重なって今の仕事にたどり着いたというのが大方だろう。ボクの場合もそんなところである。

 高校時代はステレオに興味があったので、大学は工学部を選んだ。

 大学生の頃、オーディオメーカーに就職してアンプかスピーカの設計エンジニアになり、音のいい製品を作りたいと思った。が、エンジニアといっても所詮はサラリーマン。組織の制約の中で納得のいくものが作れるわけもない。この希望はすぐに捨てた。

 在学中、もう一つ考えていた職業が翻訳家。18歳から趣味として独学で英語の訓練をしていたので、好きな英語を生かした仕事がしたいと思った。考えられるのは通訳か翻訳家だが、人としゃべるのが苦手なので翻訳家に決定。

 ボクが目指したのは商業翻訳。企業が扱う文書を翻訳する仕事で、翻訳会社に名前を登録して仕事をもらう。組織が嫌いなので、何よりも自宅で一人でできる点に引かれた。

 翻訳家は、英語力、日本語力はもちろん、特定分野の専門知識、英語文化圏の背景知識が必要で、長年に渡り勉強と努力を強いられる職業だ。それでいて収入はトップクラスの翻訳家でも月100万円ほど、サラリーマンよりちょっとマシという程度。苦労の割に報われない仕事である。

 翻訳家になったらそれなりに成功していただろう。人並みにマイホームぐらいは建っただろうし、別荘を持てたかもしれない。その代わり多くの時間を失ったに違いない。休日返上で働き、急ぎの仕事でしょっちゅう徹夜。バブルがはじけるまで仕事に追いまくられ、趣味を楽しむ時間もなかっただろう。多分翻訳家にならなくてよかったと思う。翻訳家は一番真面目に研究した職業といえる。

 大学時代はアルバイトばかりしていたので2回留年。4年生で就職先を考える時期になった。学友たちは夏休み前から企業の面接を受け、どんどん内定をもらっていった。就職協定違反、青田狩りは当たり前。国立大学の電子工学科で、また時代もよかったのだろう、就職先は引く手あまただった。  つづき

 しかし、ボクは普通のサラリーマンになるのがいやだから、まともな就職をする気がない。といって他に職業の当てがあるわけでもない。結局、就職活動など何一つせぬまま卒業。この年、電子工学科で就職を決めずに卒業したのはボク一人だったと記憶する。24歳のこと。

 卒業して、とりあえず東京に出た。何か仕事を見つけて食わなきゃならない。組織が嫌いで大企業のサラリーマンなんていやだが、小さい会社なら少しはマシかと思った。

 そこで『B−ing』という求人情報誌を買い、募集の中で一番小さい会社を選んで面接を受けた。社員数15人という設立してまもない会社だった。新宿の雑居ビルにあるソフトウエアハウスで、その場で即採用が決まった。

 当時、ベンチャービジネスとして小さなソフトウエアハウスが乱立。小さい会社というと大抵ソフトウエアハウスだった。コンピュータ業界は超人手不足の売り手市場。募集も「経験不要」が歌い文句だから、就職は実に簡単だった。

 コンピュータには何の興味も知識もなかった。一番小さな会社がたまたまソフトウエアハウスだったということ。一番小さな会社が土建会社だったら土方をやっていただろう。

 社員数15人とあったが、実際には24人ぐらいいて、大半が20代の若さ。小さな会社だからみんな出世に興味のない人ばかりかと思ったらさにあらず、小さな会社なりにみな出世欲を持ち、内部では出世競争していることに驚いた。

 ボクとしては出世や金儲けの道を捨て、出家して仏門に入ったつもりだったが、周りはそうは見てくれない。なにしろ大卒は社長と課長ともう一人、全部で3人ぐらいしかいない会社。そこに国立大学出が入ったからいやでも目立った。ボクは世俗的な欲求は一切なく、ただ目立たず平凡にやりたかったのだが、周囲は勝手に幹部候補生と見なし、上司は余計な期待をかけてくる。これには困った。

 そんなわけでボクの職業といえる最初のものは会社員である。ただ、定年まで続けようなんて夢にも思わなかった。コンピュータは他にやりたい仕事を見つけるまでの腰かけ、食うためのアルバイトのつもりだった。

<続く>

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