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  ほぼ世捨て人/2002年4月

訴えるか泣き寝入りするか

  〜 訴訟のない社会はダメ社会 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 アメリカの裁判はすごい。洗ったネコを乾かそうと電子レンジに入れたら爆発、飼い主がメーカーを訴え、巨額の賠償金を獲得。マクドナルドのドライブスルーで買ったコーヒーを膝にこぼして火傷した老婦人が3億円獲得。1日2箱のタバコを40年以上吸い続けた男がたばこ会社を訴え、3000億円の支払命令…。

 耳を疑うような賠償額。なんたる判決かと世間では物笑いの種になっている。が、笑う前になぜこの種の判決が出るのか、その思想を知らなければいけない。

 アメリカの司法制度では、社会的影響力の大きい企業や行政に対して莫大な損害賠償を命じることができるのである。

 日本の民事裁判では実際に被った損害だけ賠償するのが基本だ。10万円分の損害を被ったら基本的には10万円しか賠償されない。それにわずかの慰謝料が加わる程度。しかし、国や企業の違法行為は社会的影響が大きい。受けた被害は10万円かもしれないが、他にも被害者はたくさんいるし、さらに増える可能性もある。単なる損害の賠償で済ましてはいけない。そこでアメリカでは損害の他に罰金の意味合いの額を大きく上乗せする。その結果、賠償額は実際の損害額の何十倍にもなる。これを懲罰的損害賠償、punitive damagesという。punitiveはpunish(罰する)の形容詞。これはきわめて合理的な考え方である。

 訴えられた企業が震え上がらなければ判決の社会的恩恵はない。欠陥車に乗って交通事故に遭った。自動車メーカーを訴えたら治療費・修理代、合わせて100万円の賠償命令。これでは何の制裁にもならないのである。

 日本で個人が国や企業を訴えようとすると、ハナから対等な裁判にはならない。個人は大変な負担を強いられることになる。弁護士の相談費用が1時間でいくら。訴訟の準備、証拠集め、出廷、すべて仕事を休み、手弁当で対応。その分の休業保障もない。裁判費用、往復の交通費、すべて自腹だ。しかも裁判に何年もかかるのが普通で、その間の精神的苦痛は補償されない。くたくたになるまで争って、勝ち取れる額は実際の損害額でしかない。

 一方、訴えられた国や企業はどうか。莫大な財力があるからいくらでもいい弁護士を雇うことができる。裁判の準備、公判の出廷、すべて仕事のうちだから、担当者にはちゃんと給料が支給される。裁判費用も交通費もすべて会社(国)持ち。誰一人被害を被らない。数十万円、数百万円の支払命令が出たところで痛くもかゆくもない。アリが象に立ち向かうようなものだ。これでいいのか。いいわけがない。

 そこで懲罰的損害賠償だ。獲得額が大きいから個人でもいい弁護士を雇うことができる。弁護士もやる気が出る。訴えるだけのメリットあり。となれば訴訟が増えるのは当然。どんどん訴えてどんどん判決が出る。それで誰が恩恵を受けるかといえば、国民が、社会が恩恵を受けるのである。

 断っておくが、冒頭のような判決が妥当だと言っているのではない。おかしな判決はアメリカ人が聞いてもおかしい。だからニュースになり、日本にも届いたわけだ。訴訟が増えれば、たまにはヘンな判決も出る。が、そのおかげでネコをレンジでチンしてはいけないことがわかり、熱湯のようなコーヒーを出して火傷させる店がなくなった。訴訟の恩恵である。

 訴えなければ社会はよくならない。訴えるためには原告と弁護士、ともにある程度儲かるしくみが必要。その一つの答えが懲罰的損害賠償である。

 個人に有利な判決が出るもう一つの理由は陪審制度にある。陪審制とは市民の中から選んだ素人(12人または6人)が審理して評決を下すという制度である。  つづき

 なぜそんなことをする? 西欧の司法は“市民が市民感覚に照らして裁く”という考えが底流にあるからだ。裁判官は権力側に立つ人間であり、一般市民とは感覚にズレがある。「市民感情からいってどうよ」ということを重視するのである。

 日本では判決はお上が庶民に対して下すものという考えが根強い。大岡越前も遠山の金さんもお上である。裁判官や判事の方にもそういう感覚がある。その結果、国民感情に合わない判決がたくさん出る。国や企業を相手取った行政訴訟、公害訴訟、医療訴訟…、個人や市民にほとんど勝ち目はない。裁判所は国や企業の利益を守るための付属機関と化している。俳優・高知東急(旧名)が東急電鉄の訴えで芸名の使用差し止めをくらった判決などその典型例だろう。

 日本の民事裁判は問題だらけである。裁判を起こそうとすると費用がバカにならないし、それを回収する手段がない。たとえば安い市民法律相談でも初回30分ごとに5,000円かかるという。オークションで品物を落札、1万円振り込んだが商品が届かない。どうするか。裁判を起こしても費用が3万円かかったのでは意味がない。

 4年ほど前、少額訴訟という制度ができた。30万円以下の金銭トラブルという条件付きながら、数千円という格安の費用で裁判が起こせるようになった。手続きも比較的簡単、証拠書類を揃えて出廷。裁判は1回ポッキリ、その場で判決が出るというスピード裁定。裁判になる前に相手が訴状に驚いて金を支払うケースも多いというから効果抜群である。こういう制度がなぜもっと早くできなかったかと思う。

 裁判の長期化も日本の司法の問題だ。国や企業を相手取った裁判では10年、20年かかることがある。その理由は、証拠隠しや偽証を駆使して裁判を長引かせ、原告が諦めるか死ぬのを待つという戦術をとるからだ。これに対して日本の裁判官は無力で適切な指導をしない。アメリカではディスカバリーという証拠開示義務があり、国や企業は必要な情報を公開しなければならないので審理が迅速に進む。

 法曹界の人手不足も長期化の原因。法曹1人が受け持つ国民の数(人口を法曹数で割ったもの)はアメリカが280人、イギリスは570人、ドイツ630人、フランス1,570人、日本はなんと5,500人という多さ(日弁連調べに基づく)。

 こう見てくると、日本の裁判は司法制度としてまともに機能していないことがわかる。100万円取り返すのに200万円かかる、企業を訴えると10年かかる、そんな制度を誰が利用するものか。訴えるメリットが何もない。ならばやめとこう。早く言えば泣き寝入りである。アメリカが訴訟社会なら日本は泣き寝入り社会だ。法治国家ならぬ放置国家である。

 裁判というものはコンビニで弁当を買うのと同じぐらい手軽に起こせなければ意味がないというのがボクの持論。いや、そもそも有料なのがおかしいではないか。自国の法律を適用するのにナンデお金が要るのか。法治国家なら司法がすべて無料でやるべきだろう。

 その点、刑事事件の対応はよくできている。路上で殴られた、バッグを引ったくられた、交通事故に遭った…、110番すれば24時間いつでも警官が飛んできて、捜査から証拠調べ、犯人逮捕、起訴まで全部やってくれる。1時間の出動で1万円です、なんてケチなことは言わない。これと同じことがなぜ民事事件でできないのか。給料未払い、借金踏み倒し、金銭トラブルに巻き込まれたら電話一本で弁護士が駆けつけ、証拠調べから裁判、お金の回収まで全部タダでやります…とこなければおかしいのである。

 法治国家で一番大切なのは誰でも裁判が起こせることである。訴訟社会を笑う人がいるが、誰も裁判を起こせない社会こそ笑われるべきである。裁判所のコンビニ化という理想に一歩近づいたのがアメリカ。冒頭に挙げたようなヘンな判決が出るのは裁判が市民のものになった一つの姿を表している。それをバカげた判決と揶揄(やゆ)するのは何もわかっていない証拠である。


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