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  ほぼ世捨て人/2002年5月

引きこもりを目指して

  〜 組織になじまない男の人生 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 昔から組織や団体に属するのが嫌いだった。派閥やしがらみ、集団行動というのが苦手だ。

 組とか会と名のつくものには極力属さないことを旨としている。〜組合、〜協会、〜団、〜党、〜部、〜倶楽部、〜隊、〜連盟、〜連合などとつくものは嫌い。だから暴力団も暴走族も嫌いだし、主婦連もPTAもNHKも、高野連や陸連も嫌い。同窓会や飲み会も嫌い。会社なんて最も嫌いで、だからサラリーマンを2年でギブアップした。

 世間とは相性が悪いので、社会と関わるのが嫌いである。うわべは普通の社会人を装っているが、処世術としてそう振る舞っているだけだ。

 実社会でそんなだから、サイバースペースでももちろん一匹狼。ホームページを作っても掲示板を作らない。しがらみができるのがイヤなので開設時から相互リンク依頼お断りと明示している。

 今思えば、幼少のみぎりからその傾向はあった。AZMA母によると、ボクが4歳ぐらいの頃、人並みに幼稚園に連れて行ったところ、泣き叫ぶだけでなじめなかったので入園を諦めたという。当時から組織になじまない人間だったのである。

 よってボクは幼稚園にも保育園にも行っていない。あんなところに行かなくてほんとによかったと思う。人格形成に最も大切な時期、他の子が幼稚園で不自由な遊びとつまらない集団行動に従っている間、ボクは一人で自由に遊び、自然の情操教育を受け、創造力と独創性を育んだわけだ。おかげで純粋無垢な変人に成長した。

 最近、「引きこもり」という言葉が市民権を得た。不登校、出社拒否などで社会と関わりを持たない人間を指す。

 ボクも一種の引きこもり予備軍だろう。学校に行きたくないと思ったことはないが、仕事に行きたくないとは常に思っている。  つづき

 引きこもりが異常なことだとはツユほども思わない。会社に行きたいという方がよほど異常ではないか。仕事が退屈、ストレスがたまる、イヤな上司の顔を見たくない。行かずにすむなら行かないのが自然なこと。それでもみんな無理して会社に行くのは経済的要求(生活費を稼ぐ、家族を養う)、社会的要求(世間体)に従っているだけのこと。嬉々として出社するというのはある種のマインドコントロール(仕事中毒、会社人間、出世欲)にかかった結果に他ならない。

 日本の社会は一人で生きられない人間を大量生産するしくみになっている。早期教育、長時間の授業、部活、塾通い、会社に入れば長時間残業や付き合い。長い時間組織に拘束される結果、群れに埋没したがる画一的な人間ばかりが溢れている。病名こそついていないが、これこそ異常であり病気と呼ぶべきではないか。病名をつけるとしたら、自閉症の対極として「他開症」とでも呼びたい。

 組織と関わることは常に善ではない。その弊害にも目を向けるべきだ。日本には定年退職後に生きがいを失ってふさぎこむ人がたくさんいる。ボクに言わせれば、幼稚園、学校、会社などにアイデンティティを奪われ、自己形成しないまま大人になり、定年を迎えた結果である。一人になる時間が少なかったので自己確立に失敗、閉じこもるべき殻を持たない人たちである。

 人間には3種類の時間が必要だと本で読んだことがある。

 (1)集団の中にいる時間
 (2)二人でいる時間(恋人と)
 (3)一人になる時間

 日本人の場合、(1)や(2)が生活の大半を占めている。異常にバランスが悪い。もっともボクの場合、(2)は皆無に近く、(1)をゼロにして、人生すべて(3)のみにしようとしている。これはこれでアンバランスではある。その分テレビやインターネットでバランスを取っていると考えられる。

 ボクは隠居、遁世を人生の楽しみと考え、それを目指している。仕事は早目に引退して、老後は思いっきり引きこもりたいと思う。


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