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  ほぼ世捨て人/2002年7月

太陽と湿気の国・ニッポン

  〜 高温多湿の住みにくい国 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 夏本番。太陽の季節だ。やっぱギラギラした太陽の下で思いっきり日焼けしなくちゃ。

 とはいかないのだ。昔から色白で、外で遊んでも日焼けしないタイプ。親譲りである。長時間太陽に当たると赤くはなるが、黒くなりにくい。焼けても人より早く色が落ちる。

 生まれたときから白かった。AZMA母がよく言っていたが、生まれたてのボクは肌が白く、髪は薄くて金髪、目はまん丸でブドウ色、どう見てもガイジンの子にしか見えなかった。幸い近所にガイジンは住んでいなかったので、あらぬ疑いをかけられずにすんだという。

 幾分アイヌの血が混じっているのだろう。長じて見た目は日本人になったが、色白の特徴は残った。

 色の白いは七難かくすというが、子供の頃は色白がいやでしょうがなかった。モヤシっ子に見られるからだ。中学に入ると担任の教師に「お前は青白いな、少しは外で遊べ」みたいなことを言われて腹が立った。色が白いからといってひ弱なわけじゃないと作文に書いた覚えがある。

 こんがり焼けた小麦色の肌。日焼けすると冬、カゼを引かない。ヒトは紫外線に当たってビタミンDを合成する必要があるのだと学者も言った。日焼けは健康のイメージに直結する。こんな太陽信仰が日本中を支配した。

 これがまちがいだというのが最近の定説になってきた。健康どころじゃない。紫外線は有害であり、シワ、染み、ソバカス、皮膚の老化、皮膚ガン、染色体異常の原因。日焼けは皮膚の炎症であり、放射線から身を守るための防御反応である。外に出るときは帽子に日傘、UVカット、日焼け止めクリーム…と日焼け対策が必要ということになった。人体に必要なビタミンDは食物から摂取する量で充分だという。常識のウソがくつがえった。

 特に近年はオゾン層の破壊で有害な紫外線が大量に地上に届く。体毛を失ったヒトとブタは紫外線に弱いのだ。

 それでも小麦色信仰は根強い。ガン黒女。日焼けサロン通い。ゴールデンウィーク頃から河原や公園にハダカで寝転んで日焼けしようとするバカ者たち。これはこっけいを通り越して危険な行為である。

 昔は日焼けにあこがれたが、今は少しもうらやましくない。彼らはどうせ皮膚ガンで死ぬのだ。

 “浅黒い=健康”という時代は終わった。色が黒いのは放射線による炎症か、肝臓が悪いかのどちらかだ。

 日本は温暖で豊かな四季を備えた温帯であると習った。が、道産子(どさんこ)のボクが内地に来て、夏を待たずしてまず驚いたのが蒸し風呂のような梅雨だ。この暑さと湿気は未体験なもの。気候の違う異国に来たと思った。

 世界地図を広げて先進諸国の緯度を日本と比較してみよう。

 まずアメリカ。ニューヨークは青森とほぼ同じ緯度。サンフランシスコは仙台、ワシントンは盛岡。カリフォルニア州・ロサンゼルスはアメリカ人にとっては太陽がふり注ぐ南国というイメージがあるが、やっと日本の広島辺りとほぼ同じ緯度。いずれにしろ広大なアメリカの大部分は東京より北にある。  つづき

 ヨーロッパはどうか。欧州人にとって南の国というイメージのイタリアやスペインは東北から北海道の緯度にある。日本の感覚ではむしろ北国だ。ローマは北海道の函館より少し北だ。

 フランスは国土全体が札幌より北にある。パリの緯度は樺太(サハリン)に相当する。

 ドイツ、イギリスに至っては宗谷海峡より遥かに北にあり、日本の緯度とはまったく重ならない。

 こうしてみると日本の関東以南は先進国中、極めて南の国であることがわかる。しかも湿気の多さは大変なものだ。東京の35度よりロサンゼルスの40度の方が楽だろう。

 日本には四季があるというが、西日本の大半は雪が積もらない。北国出身のボクに言わせれば、雪が降らなければ冬ではない。日本の西半分は三季しかないというべきだ。おまけに雨季(梅雨)も備えている。温帯というよりむしろ亜熱帯に近いのではないか。

 日本は南国だ。そう思ったのはボクだけではない。魏志倭人伝の作者も倭国をかなり南方の国と見ている。倭人伝によると、倭国の緯度は「中国の会稽(かいけい)、東冶(とうや)辺りだろう」としている。これは奄美大島や沖縄に相当する。また、風物は中国の海南島辺りに似ているとしている。これはハワイと同じぐらいの緯度だ。これをもって歴史学者は「南国と勘違いしてるよ、バカだねえ」と笑う。が、魏や帯方郡の使者が日本の蒸し暑さからそう勘違いしたのも無理はない。北海道から来たボクにはわかる。

 現代の洋服は日本の高温多湿には合わない。湿度が高いと、体に密着する服装は不快なのだ。夏場、家にいるときはハダカに近い恰好をしている。ボクの体が洋服を拒否している。

 昔の日本人の服装はどうなっていたか。古墳時代の埴輪(はにわ)を見ると、支配者層は筒ソデの服とズボンであり、着物ではない。明らかに乾いた中国大陸の影響を受けたもので、高温多湿の日本には適さない。

 その後、日本人の衣服は着物として独自の発展をする。着物は襟元からも足元からも風がよく通る。最も汗をかく脇の下には切れ込みが入っている。熱や湿気を外に逃がす作りである。湿気の多い日本に最適で、極めて合理的な服装だった。

 現代は西欧文化が世界を席巻。日本人も欧米人もアフリカ人もみな同じ「洋服」を着るようになった。体に密着したシャツを着て、筒ズボンを履き、ネクタイで首を締め、上から暑苦しい背広を着込む。蒸し暑い日本の夏に、寒いヨーロッパで生まれたスーツを着てヒーヒー言っている。バカな話である。

 伝統的な日本家屋は暑さと湿気によく対応していた。床下からも屋根裏からも風がよく通り、湿気やカビを防ぐ構造。おかげで夏は涼しい。その代わり冬は寒い。

 いまやコンクリートで密閉したマンションが主流。熱がこもるのでクーラーは必需品となった。湿気の逃げ場がないので結露するのは当然。

 日本の気候にマッチした和服と家を捨て欧米化。おかげで日本の夏は過酷な季節になった。日本文化を守れなどと言うつもりはないが、夏場だけは着物で外出なんていいんでないか。


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