ほぼ世捨て人/2002年10月 読者メールいろいろ 〜 ご意見募集してません? 〜 |
● お便り募集してません?巷には読者参加型のサイトがたくさんあるが、『世捨て人の庵』はそういうものを目指していない。読者不参加型を表明している。 インターネットのメリットは双方向性にあるという。通販サイトを作ってSOHOでもやろうと思えば双方向性も重要だが、現在は趣味でホームページを公開するだけ。むしろインターネットを単方向メディアと捉えている。だから好きになった。 一方的に自分の意見だけ表明し、他人の意見は聞かない、そういうことができる。これが気に入った。だから双方向の掲示板なんて大嫌い。他人の意見なら実社会で毎日さんざん拝聴しているのでもうケッコウだ。 ホームページのアクセス向上を指南するサイトで、ホームページ成否の判断は読者からメールがもらえるかどうかだと書いたものがあった。これはボクとは対極に位置する考え方だ。 ボクはお便りの数にはまったく重きを置いていない。庵の出来・不出来はメールの数とは無関係。お便りというものは「ご意見・ご感想をお待ちしてます」と書けばたくさん来るし、書かなければ来ないだけのこと。 庵の訪問者は開設当初の十数倍に増えたが、お便りの数は横ばいか、やや減っているのである。通常、アクセス数と読者メールの数は比例するはず。メールが増えないのは世捨て人らしさが浸透した結果だと肯定的に受けとめている。 1日百件以上のアクセスを持つサイトとしては日本一お便りが少ないのではないか? この点も気に入っている。 ● ありがたい指摘それでも感想を書いてくれる人がいて、たまにお便りが届く。内容はどれも好意的なものだ(当たり前だ)。「じっくり読んだがおもしろかった」、「よく言ってくれた、感動したっ」「何度も読み返してハマった」というものも多い。 反論メールはほとんど来ない。ボクは話してわかる相手じゃないので誰も抗議などよこさない。人の意見を聞く耳は持たないので、反論などもらってもしょうがない。 そもそもタダで読んでいながら作者に異論・反論をぶつけるというのはスジ違いだ。ネットは自由に自分の意見を述べる場だ。反論があるなら自分でホームページを立ち上げ、問題のサイトを取り上げて反論を展開すればよい。 読者メールで実用的な意味でありがたいのは誤植、誤謬(ごびゅう)、勘違いなどをこっそり教えてくれるメールだ。一人で校正、校閲までやるには限界があるからだ。そもそも執筆と校閲が同一人では効果が上がらない。 が、実際にわざわざまちがいを指摘してくれるメールなどめったにない。 最近もらったあるメールには身が縮む思いをした。49歳の読者からで、「いずれは有名作家になられることでしょう」と書いてあるが、ボクの文章に気になる点があるという。 「目がね」とあるのは「眼鏡」だろうという指摘。国語辞典を調べてびっくり。「目がね」なんて日本語はなかった。漢字で書くなら「眼鏡」しかない。 画数の多い漢字はなるべく避けるというクセがアダになった。さっそく訂正。眼鏡はガンキョウと読まれるのがいやなので(ボクはついそう読んでしまう)、「めがね」と平仮名に直した。 さらに同メールによると、「柿入れ時」とあるのは「書き入れ時」のまちがいだろうという。何をバカな…と国語辞典を調べたら、オー、マイ・ガッド! 「柿入れ時」なんて日本語はないぞ! 今まで柿を収穫する適期だから「柿入れ時」だと思っていた。ざっと40年ぐらい勘違いしていたことになる。 |
庵には日本語のまちがいが他にも山ほどあるのだろう。サイト運営とは生き恥をさらすことか。良薬は口に苦し。こういうメールは謙虚に拝読せねばならない。 ● たまに変なメールも1年ほど前にこんなメールをもらった。
熱心な読者の感激のお便りである。と思った人はちょっと甘い。 このメールは一読しておかしいと思った。具体的な感想の記述がないからだ。 普通、お便りをくれる人は、ボクの主張や生きざまのどういう部分に共感したのか具体的に書いてくるものだ。このメールは要約すると「世捨て人を見つけてうれしかった」という一言で終わってしまう。それ以外にコラムについての感想は何も書いてないのである。 <中略>の部分には差出人の活動のことが長々と書いてあり、庵のことには一切触れていない。 なぜ具体的な感想がないのか。それは作者がコラムを読んでいないからだろう。サイトを読まずに読者メールを出すとはどういうことか。 こういうことだ。作者は「世捨て人」をキーに検索し、引っかかったサイトに片っ端からメールを送っているのだろう。プロフィールを見て適当に話を合わせて作文したものと思われる。 差出人のメールアドレスには英語で男性的なニックネームがついている。肉体労働云々からも男性であってもおかしくない。が、この文章は明らかに女が書いたものだ。この食い違いもちょっと妙。 結論。これは読者メールを装ったダイレクトメールである。この女性が庵を訪れることは二度とないと思うので、今回これを取り上げた。 <中略>の部分を要約すると、作者は4人ぐらいのグループで田舎で活動をしているが(活動の内容は不明)、メンバーが定着せず、周囲の賛同もなかなか得られないといった内容。もうこれだけで宗教の臭いがプンプンする。 これはホームページを宣伝するための勧誘メールである。世捨て人なら田舎での共同体的な暮らしに興味を示すに違いないと考えたのだろう。 が、今回は相手が悪かったようだ。運悪く世界一宗教に厳しいボクである。 返事を書くために(書く必要もないだろうが)紹介されたURLをのぞいてみた。教育や住宅の話題なども織り交ぜて巧妙にカモフラージュしているが、ボクから見れば紛れもない100%ピュアな宗教サイトであった。 ボクが送った返事は次のようなものだ。相手のサイトなど読まず、具体性のないメールで返したのである。
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