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  ほぼ世捨て人/2002年12月

趣味に生きる

  〜 趣味のない人生なんて 〜

ほぼ世捨て人もくじ


● 趣味って何だ?

 長期間働かずに趣味に打ち込むような人間だから(最長は4年)、趣味に関してはうるさい。

 趣味って一体何か。まず趣味の定義が一般人とはちがう。フツーの人にとって趣味とは余暇に楽しむ遊び、余技といったところ。仕事や家庭が人生の目的であり、趣味は付録、刺身のツマである。大したもんじゃない。仕事以外の時間は余暇、つまり余った暇なのである。

 ボクにとって趣味とは人生の目的そのもの、最大の楽しみ、生きがいのこと。仕事はそのための手段に過ぎない。仕事より大切な存在であることは当然で、仕事の上に来ないようなものを趣味とは呼ばない。

 ボクが考える趣味の条件。

(1)三度のメシより好きなこと
(2)一家言持っていること
(3)能動的、主体的に関わっていること

 寝食を忘れるぐらい熱中でき、それをやっているとドーパミンが出っ放しになるものをいう。また、それについて少なくとも本が一冊書ける(あるいはホームページを立ち上げることができる)ぐらいのこだわりがあること。

 多くの人が趣味と考えているものは単なるレジャー、娯楽、気晴らしであることが多い。いくら楽しいことでもこだわりがなければ趣味とは言わない。宴会、カラオケ、デート、喫煙はたいていの場合趣味ではない。

 海外旅行したからといって旅行が趣味とはいえない。ただのレジャーである。散歩であっても、万歩計で距離を測り、綿密に記録をとり、カメラや双眼鏡を持ち出し、毎日寝る前にコースを考えたりすれば、これは立派な趣味になる。テレビは多くの人にとって単なる娯楽だが、番組を厳選し、ダビング保存し、内容や出演者を記録し、番組ライブラリを作り上げれば、テレビ鑑賞も趣味になりうる。

 趣味は自分の計画と流儀に従って楽しむもの。グループ登山、集団ツーリング、団体旅行は他人の計画に従って行動するものであり、能動的、主体的に関わっていない。こういうものを趣味とは呼びたくない。趣味は所詮、個人の楽しみなのだ

 上の条件に当てはまれば、なんでも趣味になる。農家が野菜を作るのは仕事だが、楽しむ目的でやれば家庭菜園という趣味になる。人を運ぶために運転すればタクシードライバー。自分のために運転すればドライブという趣味だ。

 趣味は「(利益などを考えずに)好きでしている物事」(新明解国語辞典)。金が目的か楽しみが目的かにより一つのことが仕事にも趣味にもなる。

 たくさんお金をかける方が趣味としてエライのか? 金は少なすぎてもだめだが、多ければいいというものでもない。高価な道具は必ずしも必要ない。1円もかけなくても成立する趣味もある。

 金にあかせて高級車を買ったからカーマニアだとはいえない。単なる成り金趣味だ。大衆車でも丁寧に整備して可愛がり、綿密にコースを計画し、毎週末に乗り回すようになれば趣味にまで高めることができる。

 金に糸目をつけない人はポンと最高級品を買ってお仕舞だ。金の制約を受けたところから分析や工夫が始まり、趣味が深まる。金をかけずに手間をかけるのが本筋。これは自転車、カメラ、オーディオ、パソコン、旅、すべての趣味に言えること。

 趣味は人に説明できないものだ。There is no accounting for tastes. ナンデそれが面白いのか他人にはわかりにくい。マンホールのデザインを調べる、消しゴムを集める、地図で架空の旅をする…、少数の者だけが解するマイナーな楽しみが趣味にふさわしい。旅行、読書、映画鑑賞、誰でもやってることを普通のやり方でやるのは趣味ではなく娯楽だろう。

● 趣味をリストラする

 趣味は何かと聞かれて即答できない人は趣味がないと考えてよい。ただ、ボクのように趣味が増えてしまうと即答できなくなる。一言で5つも6つも挙げるわけにはいかないから、どれを答えるか迷う。  つづき

 庵のプロフィールにボクの趣味が書いてある。前記の趣味の条件に外れるものがたくさん出てきたので、さっき全面的に書き改めた。

 趣味が10個にもなるとさすがに飽和状態。一つ一つに必要な時間やお金をかけることができない。どうしても密度が薄くなる。なので、ここ十年は趣味を減らすことに努めている。

 昔、読書(日本古代史)が趣味だったが、英語に時間を割きたかったので、日本語の本は読まないという掟を課した。オーディオ、音楽鑑賞はソースに金がかけられなくなり、リストラの対象に。カメラ(写真)はフィルムが買えないので中断したが、デジカメの出現で趣味に再浮上。

 サイクリングは最も長く続いた趣味の一つだが、原付バイクを購入してから沈滞。再開の見込みはあるが、時間的制約から難しい。考えてみれば、サイクリングは時間、体力、お金(食費)のかかるぜいたくな趣味だった。余命が残り半分を切った現在、効率よく多くの場所を旅するには自転車はやや難がある。

 増えた趣味もある。ホームページ運営は、当初電子出版ビジネスとして始めたが、開店休業。現在は完全に趣味に転落している。いや、転落じゃなく昇格だな。

 退職後に本格的にやりたいのが登山。ボクの登山は展望を楽しむのが主目的なので、雲がかかっているときに登っても意味がない。しかし、フルタイムで働いていると天気を選べない。人のいない平日、晴れた日だけ選んで登るには隠居生活しなければ無理。老後のお楽しみにとっておこう。

AZMAの脳内エネルギー分布図
頭の中でどんな事柄がどれくらいの比重を占めているかを示す(2002年12月現在)。ホームページ制作には予想外の時間とエネルギーが割かれ、他の趣味を圧迫している。仕事の割合が意外に高いが、フルタイムで働いている以上やむを得ないだろう。その代わり仕事中も趣味のことを考えている。

● 趣味人の条件

 ボクは酒、タバコ、ギャンブルは一切やらない。そう言うと真面目だねえと言われる。遊びを知らないつまらない奴という含みがある。これが趣味を解さない人の典型的な反応である。

 世間でいう遊びとは「飲む、打つ、買う」のことらしい。今の言葉で言えば酒、ギャンブル、女。いずれも古典的な娯楽である。遊びが多様化した現代、遊びといえば酒、ギャンブル、女しか思い浮かばない人は遊びを知らないことを暴露しているようなものだ。

 趣味のない人と話をするのはとても退屈である。できればお友達になりたくない。結婚相手を選ぶなら同じ趣味を楽しめることが条件。同じ音楽を聴き、一緒に山登りできること。そうでなければ結婚する意味はないと思っている。

 定年後の生きがいとして何か趣味を持とうという人がいる。これは本末転倒であり、趣味人の発想ではない。趣味とは内から沸き上がる欲求に押されて寸暇を惜しんでもやるもの。生きがいのために探すもんじゃない。

 芸能界にも仕事人間と趣味人がいる。日本で功なり名を遂げた有名人は大半が仕事人間だ。典型例はビートたけし、竹村健一、松本明子など。いずれも世間では遊び人と認識されているようだが、ボクの目はごまかせない。たけしの絵画や竹村のピアノは付け焼き刃の印象をまぬがれない。心から楽しんでいるようには見えない。動機からして、仕事以外に幅を広げようとか、仕事に生かそうという下心が見える。

 一方、遊びのなんたるかをよく知っているタレントもいる。所ジョージ、大橋巨泉、西村知美、なぎら健壱は趣味人と呼ぶにふさわしい。

 インターネットを始めて4年。個人サイトを見て日本にも少なからず趣味人がいることがわかって安心した。


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