前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ 次のコラム

  ほぼ世捨て人/2003年2月

簡単操作の時代

  〜 進行するバカチョン化社会 〜

ほぼ世捨て人もくじ


● パソコンは遅れた商品

 実家の父が文章を書きたいのであまったワープロ専用機はないかという。使っていないワープロは3台あるが、いずれも親指シフト。これからキーボードを覚える人に親指シフトを勧めるわけにはいかない。安いワープロ専用機を買ってやろうと電器店やネット通販を探してみたが、これがない。インターネットで調べてやっとわかった。メーカーは2年ほど前に製造を中止、ワープロ専用機の時代は終わっていた!

 仕方がないので一番安いパソコン(62,800円)とプリンタと一太郎を買って送った。

 75歳のAZMA父がパソコンを使いこなせるだろうかと考えると絶望的になる。文章を打ち込み、印刷できるようになるまでに何日かかるだろう。

 誰もがパソコンを持つ時代。随分使いやすくなったとはいえ、まだまだ誰でも使いこなせる代物じゃない。日本語入力に不適切なキーボード、使いにくい日本語IME、ソフトはインストールしなきゃ使えない、不具合やフリーズも多い。曲がりなりにもパソコンで目的が達成できるまでに覚えなきゃならないことはたくさんある。

 ボクとて簡単に使えるようになったわけではない。SEをやっていたというと、さぞパソコンに詳しいんでしょうと勘違いする人がいるが、そんなことはない。仕事でパソコンに触ったことは一度もない。15年前のシステム開発というと(今はどうか知らないが)業務用の大型コンピュータ(1台数千万円)を使うこと。今のパソコンと操作上の共通点はほとんどない。初めてパソコンを操作したのは5年前、39歳のこと。パソコンの使いにくさは言語道断、ビル・ゲイツの首を絞めてやりたくなったこと数知れずだ。

 最近のパソコンはボタン一つでインターネットが見られるようなものもある。しかし、パソコンを自由に使うためにはファイル操作を覚えなければならない。ファイルやフォルダのコピー、移動、削除はパソコン操作の基本。ファイル操作ができないのにインターネットを楽しむことが可能だろうか。

 パソコン雑誌のQ&Aによく「ファイルをダウンロードしたんですが、どこへ行ったのかわからないんですが…」という質問が載っている。彼らはファイル操作を覚える前にインターネットに手を出した例なのだろう。まぬけな話だと思ってはいけない。これからはこういう人がインターネットの主流になる。パソコンの底辺が広がるとはそういうことだ。

 今までパソコンはマニアのものだった。自分でプログラムを書く者、DOS画面を操作する者、BIOSを書き換える者。CPUを水で冷やして処理速度を上げるなんて剛の者もいた。

 今、パソコンは家電製品になりつつある。もはやマニアだけの商品ではない。ガッツ石松がパソコンを使う時代だ。普及するためにはバカチョンカメラのように誰でも使えることが必須条件。これを進化と呼ぶか退化と呼ぶかはともかく、商品が普及するためには避けて通れない道である。

 その意味でパソコンはまだまだ進化の遅れた商品である。  つづき

● どこまで行くんだバカチョン化

 昔々の8mmカメラのテレビCM。マガジンをポンと入れてボタンを押すだけで撮れるフジカ・シングル8。「私にも写せます」という有名なキャッチコピーを言ったのが現国土交通省の扇千景大臣。

 商品は普及するに連れて自動化、一体化(オールインワン)、小型化、低価格化の道をたどる。特に自動化、簡単操作は宿命である。普及するためには性能より操作性のよさが優先する。性能を云々している間はその商品は未成熟なのである。

 スチールカメラ。画質のいい大判カメラに替わり、操作性に優れた35mm判が主流となった。さらにAE化で面倒な露出設定を排除、オートフォーカスでピント調整も不要。だれでもシャッターを押すだけでキレイな写真が撮れるバカチョンカメラの誕生。さらに進化してカメラとフィルムが合体した「写ルンです」の時代へ。

 クルマ。ギアを操作するマニュアル車からオートマ車へ。バイクは実用性より趣味の道具として生き残っているので、いまだにマニュアル車が主流だが、スーパーカブはギアはあるがクラッチ操作不要のセミオートマチック。スクーターはギア、クラッチ操作を廃したオートマになって爆発的に普及した。

 これからはオンナと老人の時代だ(やな時代だな)。商品はオンナでも使えるものでなければならない。女性はメカに弱い(じゃ何に強いのか定かではない)。今は操作がやさしいということが商品のセールスポイントになる。これでいいのかという気がしないでもない。

 ある自転車のCMを見て驚いた。大手B社のママチャリ。タイヤの空気圧が不足するとバルブ口のサインが知らせてくれるというのがウリ。自転車歴39年、空気圧チェックなんて無意識にやっていたが、そういや確かに高度なワザが必要だった。タイヤを指で押してみるというワザだ。こんなことはサルでもできると思っていたが、現代日本女性には難しすぎるようだ。大丈夫か、日本女性!

 最近のクルマのCM。明るさに応じてヘッドライトが自動的にオン・オフするのがセールスポイントというから情けない。「トンネルを出たら僕(クルマ)が消しときますね」だとさ。ヘッドライトの操作も満足にできない者がクルマを乗り回す。これでいいのか? これでいいのだ。これが進化であり、普及、底辺の拡大である。この流れは誰にも止められない。

 商品だけではない。サービスだってバカチョン化をまぬがれない。旅行といえば、昔は目的地、コースの設定、切符の手配、宿の予約、全部自分でやるのが当たり前。今はすべて旅行会社まかせのパック旅行。オールインワンである。引越は運送会社のおまかせパック。葬式も予算別のコースを選ぶだけ、すべて葬儀屋まかせだ。

 人間自体も変化、バカチョン人間が増えた。何から何まで人まかせのオートマ人間。会社が敷いたレールに乗り、保険会社のライフプラン通りに生きる人間が主流。ボクのように食事から人生設計まですべて自分で手がけるタイプは珍しくなった。ボクは進化から取り残されてしまったようだ。


前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ ページ先頭 次のコラム
Copyright(C) 2005. AZMA

inserted by FC2 system