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  ほぼ世捨て人/2003年5月

ノンアルコール人生

  〜 ボクはなぜ酒を飲まないか 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 テーマは酒。

● くだらん宴会はたくさんだ

 昔から酒はキライで、酔っぱらいもキライ。

 シラフでもバカな人間が、酔ってバカの2乗ぐらいになるのだから好きなわけがない。酔っぱらいが集まる宴会は特にキライである。

 酒が飲めないわけではない。30歳頃までは仕事上の付き合いでしばしば飲んだ。たいていの人より酒は強かったが、酒宴で楽しいと思ったことは一度もない。日本人の95%は楽しいのだろう。

 会社の宴会は、同好の士が自由意志で集まった遊びとはちがう。組織が団結力と忠誠心を高めるために構成員を半強制的に拘束して酒を飲ませているもの。ボクにとって宴会は仕事であり、タダ働きの残業である。こんなものが楽しいというやつの気が知れない。組織の思惑通りに遊ばされているのがわからないのだろうか。

 最近の若い社員の中には会社の宴会に出席しない人が出てきたという。日本の組織も変わってきたか。…とは思わない。ボクはそれほど楽観主義者ではない。宴会を拒む若者も、将来組織に懐柔(かいじゅう)されれば部下に宴会を強制するようになることを知っているからだ。

 宴会が近づくと幹事が出欠を取りに来る。「×日の宴会、出席しますか」と聞くならわかる。「×日は用事ありますか」と聞くのがいる。用事があるかとはどういう意味だ? 仕事が終わって用事がない人がいるのか? 用事があるから生きているのである。

 30を過ぎてフリーターになってから飲む機会は激減(残念ながらゼロではない)、とてもせいせいしている。フリーターの大きなメリットの一つは、くだらない宴会に出なくてすむことだ。

 酔っぱらいの理性のない会話に付き合うことほど時間のムダはない。その反省に立ち、30歳から一貫して「酒は一滴も飲めない」人間で通している。これは宴会を断る理由になるし、出席しても早目に切り上げて帰る口実にもなる。オレの酒が飲めないのかと絡むバカもいない。

 たまに宴会に駆り出されることがあるが、最初の乾杯でビールを一口なめるだけ。あとはずっとジュースを飲んでいる。

 日本人相手だと自分の飲み方で飲めないのもいやだ。飲みが足りないといって無理矢理注ぐ者。一気飲みを強要する者。「そのコップを早く空けろ」というヤカラが来ると、うるせえと言いたくなる。

 何をどれだけ飲むかは個人の自由だ。コーヒーや牛乳ならいちいち飲む量を指図する人はいない。酒になるとやたらに相手のペースを決めたがる。この精神構造は何なのか。

 酔っぱらい天国・日本、酒の上の不祥事には甘い。まっとうな大人が泥酔することを恥ずかしいと思わない。多くの国では、公衆の面前で酔っぱらうのはヨタ者か犯罪者と相場が決まっている。日本ではネクタイ締めたサラリーマンが千鳥足で歩いている。

● 酒は百悪の長

 日本酒、ビール、焼酎、ウイスキー…。昔も今も酒にはまったく興味がない。

 まず味覚が合わない。何度飲んでもうまいと思ったことがない。ボクの味覚はアルコールを毒物と判断しているようだ。

 夜勤をやっていた頃、睡眠薬代わりに寝酒を飲んでいたことがある。焼酎を果汁で割った、というより果汁に焼酎を少しまぜたもの。甘いワインのようで悪くはなかった。が、焼酎が入ってなけりゃもっとうまいのに、と思ったものだ。

 今は外でも家でも酒を飲むことはまずない。ごくたまに料理で使うくらいだ。  つづき

 なんて不幸なやつだ、仕事が終わった後のビールのうまさを知らないのかって?

 知らない。ボクが家に帰って飲むのはサイダー。この喉ごしがたまらん。昼間ならカフェインの入ったコーラかコーヒー。ちなみにサイダーは1.5リットル入り178円。1本で3〜4日もつ。実に安上がりな人間である。

 日本では酒は百薬の長といわれるが、これは疑問だ。

 一回の飲酒で脳細胞が20万個死滅するという有名な定説もある。これもボクが飲まない理由の一つ。頭はいいけど仕事以外にやることナシ、という人は脳ミソをもてあましているので20万個死滅したとて気にならないだろう。ボクは凡庸な脳ミソの持ち主。そのくせ私生活では頭をフルに使って生きているので、脳が悲鳴を上げている。これ以上脳細胞を失うわけにはいかない。

 最近、WHOが、たばこと酒が寿命を縮める最大の要因だと太鼓判を押した。ボクの味覚は正しかった。やはりアルコールは体にいいわけないのである。

● 人はなぜ酒を飲むのか

 酒と聞くと目の色が変わる人がたくさんいる。人はなぜ酒を飲むのだろうか。これは同時に、ボクはなぜ酒を飲まないのかという疑問にも通じる。

 栄養補給のため? カロリーの補給。糖分の補給。答えとしては弱い。なぜご飯を食べるのかという問いも同じ答えになる。

 日本人の飲酒は、仲間意識の確認という特殊な理由がある。理性を失うことで人間関係を強固にしようという宗教的意図である。

 ストレス発散のために飲む? 記憶が飛んだり、気分が高揚していやなことを忘れるから。ボクに言わせれば、酒で発散できる程度のものをストレスとは呼びたくない。ストレスならボクの方が遥かに上。組織、社会、大衆に対する救いようのない絶望感。のんべえにそういうストレスがあるとは思えない。

 ボクの経験からいうと、一般に酒が好きな人ほど趣味のない人が多い。無趣味と飲酒は何か関係があるのではないかと思っていた。

 最近、テレビで、のんべえは普段からドーパミンの分泌量が少ないという説を聞いた。これだ。ボクの考えを医学的に言えばそうなるのである。

 ドーパミンとは快楽を生み出す神経伝達物質。ヒトはこの脳内麻薬が分泌される行動を好んでくり返す。趣味を心底楽しめる人はドーパミンを豊富に分泌できる。こういう人はアルコールに走らない。ドーパミンの分泌量が少ない人、つまり楽しみや生きがいの少ない人は、ドーパミンを求めてアルコールに手が伸びる。これがのんべえだ。そう考えれば、生きがいを失った人が酒におぼれやすいのも納得がいく。

 ボクの場合、一人でいる時間は趣味に没頭してドーバミン出っ放しとなる。だから酒を飲む必要がない。

 若い頃は付き合いで酒を飲んだ。たばこの味を見るために喫煙したこともある。が、どちらもボクにはまったく中毒効果がなかった。なぜか。他にやりたいことが山ほどあったからだろう。趣味や生きがいといったドーパミン発生要因は、アルコールやニコチンより遥かに強力なのだろう。

 酒には酔わず、趣味に酔っている人生である。


酒(AZMAの辞典)

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