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  ほぼ世捨て人/2003年6月

辞書のある生活

  〜 手持ちの辞書を評価する 〜

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● わが家の辞典ラインナップ

【辞書】 ことばや漢字を集め、一定の順序に並べ、その読み方・意味・語源・用例などを解説した書。<広辞苑>

 わが家に辞書は何冊あるか集めてみた。

わが家の辞書ラインナップ

 写真の左からランダムハウス英和大辞典、広辞苑、オックスフォード現代英英辞典、プログレッシブ英和中辞典、プログレッシブ和英中辞典、ジーニアス英和辞典、新明解国語辞典、新修ことわざ辞典、ショーター英和辞典、新リトル和英辞典。

 質、量ともに特に珍しい点はない。強いていえば、左端のランダムハウス。翻訳家必携の英和辞典だが、カタギの人でこの大型辞典を持つ人は少ないかもしれない。以前、英語が趣味だったことによる。10冊中7冊が英語関係の辞典。ボクにとって英語の辞書は趣味の道具である。

 ラインナップ中もっともよく使用した辞書がこのランダムハウス。最盛期には毎日50回以上引いていた。語数34万5千。3,000ページ超。使いこなすにはそこそこの腕力と机上スペースが必要である。

 ランダムハウスは口語表現、イディオム、俗語が充実しているのがよい。アメリカのドラマを見ながら目新しい表現に出くわしたら即引く、という使い方が多かった。

 一番古い辞典は、三省堂の新明解国語辞典の初版。現役で使用中。1972年(昭和47年)発行だから、なんと中学生のときに買ったことになる。32年間も使っているのか。

 国語辞典はせいぜい漢字を確認するために引くくらいで、めったに使わないから買い換える必要もなかった。国語辞典はボクにとって家庭の常備品であり、趣味の道具ではない。

 ホームページを作ってから新明解国語辞典の使用頻度がやや増えた。うろ覚えの語義を確認するためである。もっとも自分の知っている範囲の日本語で書く主義だし、ことさら難しい単語を並べる趣味もないので、辞書が手放せないということはない。

 電子辞書のたぐいは一つもない。紙のランダムハウスでも毎日50回も引いていると10秒ぐらいで目当ての単語が見つかるようになる。検索時間に大差はない。電子辞書の本当のメリットは机上スペースの節約にあると思う。

 辞書はアクセスタイムが重要である。使用頻度の高い辞書は書棚ではなく机の回りに置き、付属の箱には入れず、即座に使えるようにしてある。必要に応じて小口にインデックスを書くといった工夫もしている。

● 国語辞典の権威失墜す

 最近、庵の中で国語辞典の説明を引用する機会が増えた。冒頭に出した広辞苑の引用はその例だ。一種の権威づけである。権威づけには新明解国語辞典はやや貫録不足。国語辞典の権威といえばやはり広辞苑だろう。

 というわけで広辞苑(第五版)を購入したのが2カ月半前のこと。7,300円と高価。ホームページを持っていなければ絶対に買わなかっただろう。

 使い始めてすぐに気づいたのは、予想外に語義が甘いことだ。

 ボクは趣味に生きる人間だが、「趣味」とは何か。

【趣味】 専門家としてではなく、楽しみとしてする事柄。<広辞苑>

 執筆者は、専門家の対極にあるものとしてのシロウト芸を趣味と思っているらしい。趣味人として言わせてもらえば、趣味とはその道の専門家になることだといってもいいくらいだ。専門家ハダシの趣味人はたくさんいる。

 新明解国語辞典ではこうなっている。

【趣味】 (利益などを考えずに)好きでしている物事。<新明解国語辞典初版>  つづき

 これならいいだろう。

 プライバシーとは何ぞや。

【プライバシー】 他人の干渉を許さない、各個人の私生活上の自由。<広辞苑>

 どうもはっきりしない。干渉しなければプランバシーの侵害に当たらないのか。例えば、のぞき見したり盗聴機をしかけたり盗撮したりして私生活を知ろうとする行為は、こっそりやっている限り干渉にはならないが、これこそ一般にプライバシーの侵害と呼んでいる人が多い。

 新明解国語辞典ではどうか。

【プライバシー】 私生活を他人に知られず、また干渉されない、個人の自由。<新明解国語辞典初版>

 干渉されないだけでなく知られないことでもあると言っている。これなら納得がいく。

 「遺憾の意を表する」とはどういう意味か。

【遺憾】 思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。<広辞苑>

 どうも違う気がする。小泉総理の靖国参拝に中国の主席が遺憾の意を表したとしたら、これは単に残念だというより非難しているはずだ。どうもイカンなと言っているのである。

 新明解国語辞典(初版)では、「遺憾」の用例として「遺憾の意を表明する」を挙げ、この場合は「軽い非難」としている。これなら文句なしだ。

 広辞苑で「はしたない」を引くと、用例として平家物語を引用。「はしたなの女房の溝の越えやうやとて、あやしげに見まゐらせければ」と出ている。さっぱりわからん。

 この語に限らず、広辞苑の用例はやたらに古典の引用が多い。これは大いに疑問である。読んでも意味がわからないのでは用例の用をなさない。古語辞典じゃあるまいに、現代日本語の用例を挙げるべきだ。

 広辞苑は俗語や新語の収録にはあまり熱心でないようで、プー太郎、AV(アダルトビデオ)、MD(ミニディスク)といった語は収録されていない。これでも1998年の改訂である。

 もっとも権威ある国語辞典が聞きしに劣る出来だった。それでも人は権威にしがみつく。権威を否定するのがボクの流儀だが、そのボクも広辞苑がよくないことを知りながら引用する。誰がこの辞典を権威に祭り上げたのだろうか。

 広辞苑に比べると、新明解国語辞典は名にたがわず語義が明解でシャープ。広辞苑を買ってから新明解のよさが初めてわかった。

 ただし、新明解の最新版はだめ(持ってないけど)。初版と最新版ではまったく別物である(らしい)。

 最近の国語辞典は、読むための工夫というのを施して読者を集めようとしているらしい。例えば、新明解の最新版では「恋愛」をこう説明している。

【恋愛】 特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。<新明解国語辞典第五版>

 「恋愛」という語の意味より恋愛観に近いものがある。ツッコミどころ満載で、読んで面白いかもしれないが、奇をてらっているというしかない。

 最近の世捨てコラムでは、末尾に時々『AZMAの辞典』の引用を載せているが、もちろんそんな辞典は存在しない。ビアス『悪魔の辞典』の名前をもじってボクが勝手に作った架空の辞書である。本家より面白いと自負している。

【辞書】 あるひとつの自由な成長を妨げ、その言語を弾力のない固定したものにしようとて案出された、悪意に満ちた文筆関係の仕組み。<ビアス・悪魔の辞典>


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