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  ほぼ世捨て人/2003年6月

リンチのすすめ

  〜 法で果たせぬ恨みを晴らす 〜

ほぼ世捨て人もくじ


● 仕事人が必要な時代

 時代劇に必殺シリーズというのがあった。ボクはドラマや時代劇など興味がないが、「必殺仕事人」だけはよく見ていた。

 必殺シリーズ、説明するまでもないだろうが、主人公の中村主水(なかむらもんど)、オモテはしがない町奉行の同心、ウラの稼業はヤミの仕事人。庶民の依頼を受けて、法では果たせぬうらみを晴らす殺し屋。今でいえば、昼間はうだつの上がらぬサラリーマン、夜はヒットマンというギャップ。藤田まことが実にいい味を出していた。

 めでたし・めでたしで終わる正当な時代劇とはちがい、世の理不尽さ、悪への怒り、やりきれない無常感がよく表現されていた。極悪人が処刑されるときの胸のすく思い。お上が裁く大岡越前、水戸黄門、遠山の金さんにはないおもしろさがあった。

 最近、世の中閉塞感がただよっているという。原因は不況だけではあるまい。凶悪犯罪が増加。犯人がつかまらない。つかまっても有罪にできない。有罪にしようにも何年も、ヘタをすると何十年もかかる。勧善懲悪が行われていないという無力感があるのではないか。

 そしてなかなか進まぬ行政改革。官民ゆ着、利権にむらがり、旧態勢を守ろうとする族議員。小泉総理の改革の足を引っぱり、ありとあらゆる邪魔をする道路族、農林族、郵政族…。血税が湯水のごとくムダ遣いされ、国の借金はふくれ上がるばかり。

 日本を悪くしている張本人たちの顔がはっきりわかっているのに何もできない歯がゆさ。いまこそ必殺仕事人が必要ではないか。たとえば有権者が一人100円ずつ出し合ってヒットマンを雇い、腐った族議員を消してしまえば、どれだけ日本のためになるか知れない。10人ぐらい始末すれば風通しがよくなり、腐敗防止効果もバツグン。行政改革は一気に進むはずだ。

● 果たせぬ正義をリンチで

 95年のオウム事件。サリン、異臭騒ぎ、青酸ガス、小包爆弾…。未曾有のテロに市民が恐々としていた時期、オウム信者だけは堂々と街頭で宣伝のビラ配り。これはあべこべであり、異常な社会である。法治国家とは何かを考えさせられた。信者が市民にボコボコにされるというのが健全な社会ではないか。信者のアジトを張り込む警察。よく考えたら市民を守っているのではなく信者を守っていたわけだ。

 現在の法律は悪人のためにある。犯罪者の人権が第一で、被害者の人権はふみにじられている。精神異常者は何人殺しても無罪という理不尽さ。弁護士は犯罪者の味方。裁判所は国や大企業の味方、強気を助け弱気をくじく。

 オモテの司法制度では正義は果たされない。法が裁けないのなら非合法な裁き、リンチしかない。正義のためであっても法を犯してはいけないなんて話にならない。

 暴走族、オヤジ狩り、スプレーによる落書き。警察の取り締まりはラチが明かない。警察がやらねば市民がやる。ヤミの仕事人に“取り締まり”を依頼することも必要ではないか。

 教祖・麻原の裁判。弁護のために莫大な税金が使われ、被害者にはビタ一文使われない。そして弁護側の裁判引き延ばし、このままでは刑が確定する前にやつは老衰で死ぬかもしれん。裁判制度が正しく機能しないなら、仕事人による迅速な刑の執行が必要ではないか。  つづき

 仇討ちはぜひ必要だ。仇討ちを請け負う商売を認めよう。司法制度の欠陥を埋める仕返し、復讐の黙認である。目には目を、歯には歯を、ハムラビ法典の精神を見習うべきだ。

 ワラ人形に五寸釘を刺して依頼者のうらみを晴らすという商売が繁盛しているというが、これは荒唐無稽。本当に“仕事”をする仕事人が必要だ。

 学校のいじめ、教師も学校も頼りにならない。会社のいじめ、相談する相手がいない。これも仕事人による復讐で解決したい。姑息な行為には姑息な手段で応じるべきだ。医療ミスで患者が泣き寝入り。責任のがれをする医者、隠蔽する病院。これも仕事人に頼んで制裁を加えるべきだ。

 池田小学校児童8人殺傷の宅間守。何の苦痛もないただの死刑でいいのか。仕事人に依頼して死刑になる前に拘置所から拉致し、遺族が好きなだけ包丁で突き刺して処刑するのがふさわしい。それが正義だろう。

 北朝鮮による拉致事件。このままでは解決しない。工作員による非合法行為を正式な外交手段で解決しようというのは無理がある。日本も非合法な手段で対処したらどうか。日本から北朝鮮に工作員を送り込む。拉致被害者の所在をつきとめて救出作戦を実行。逆拉致である。アメリカならこれぐらいのことはやるだろう。

● 数少ないリンチの例

 オウムの顧問弁護士・青山の裁判で、弁護を引き受けたのが有名な敏腕・遠藤弁護士。しかし、市民の脅迫電話が殺到して弁護を下りるハメになった。これこそ正しい市民の怒りであり、脅迫が正しく機能した例である。やればできるじゃないか。

 オウムの科学技術省長官・某を刺殺したのは口封じの処刑、一種のリンチである。あの処刑がなければ、某は長引く裁判でいまだに生きていたことはまちがいない。あれは正しい天誅だった。

 豊田商事会長刺殺事件というのもあった。純金を買えば儲かると老人ばかり3万人をだました巨額詐欺。怒りに燃えた暴漢2人が報道陣をかきわけて会長の自宅に乱入して刺殺。これもいい事件だった。

 サカキバラ事件で、捕まったサカキバラの顔写真がインターネットに流れた。これも広い意味での私的制裁であり、とてもいいことである。未成年ということで、最近釈放されて出てきた。小さな子供を持つ親は積極的に顔を覚えて、いざという事態に備えるのが得策。もう一度顔写真を公開すべきだ。

 リンチは法によらない制裁。もちろんいいことばかりではない。昔、赤軍派は不満分子の処刑を独自の用語で“総括”と呼んだ(40代以上の人なら知っているだろう)。右翼(?)による朝日新聞襲撃事件。保険金殺人といわれるロス疑惑で、一美さんを狙撃したのはヒットマンだといわれている。これらは悪いリンチの例である。

 法に依らないリンチは諸刃の剣である。いいリンチか悪いリンチかケースバイケースで見極めが必要だ。これをリンチ応変という。

【リンチ】:(アメリカの判事W.Lynchの名に由来)法によらない私的制裁。私刑。<広辞苑>


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