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  ほぼ世捨て人/2003年10月

天気予報とのつき合い方

  〜 週間予報は当たらない 〜

ほぼ世捨て人もくじ


● “週間予報”という虚言

 紅葉シーズンが始まった。この週末は3連休。日光辺りが紅葉まっ盛りという。数日前の週間天気予報によると、3連休は晴天に恵まれるというので遠出を予定していた。その後、予報がどんどん悪化、前日夜の予報では3日間とも曇りがちで、雨も降ると言い出した。急遽ツーリングを中止。時間ができたのでこのコラムを書いている。

 週間予報が変わって週末の予定が一変する。こんなことはしょっちゅうなので別に驚かない。

 旅に出る関係で、週末の天気は人一倍気にする。金曜日の天気予報はかなり真剣に見る。ツーリングも山登りも「晴れ」でなければならない、という主義である。「晴れ時々曇り」なら無理して出かけることもない(家でやりたいことが山ほどある)。「曇り」なら考えるまでもなく即中止である。

 晴れと曇りでは旅の楽しさが5倍ぐらい違うというのがボクの実感。写真も撮るので、ただ晴れるだけではダメ。モヤが少なく遠景がクリアであることも大切。

 ボクの山登りは上からの展望を楽しむのが目的だから、登山口に着いたときに山頂に雲がかかっていれば登山を中止し、ツーリングに切り換える。単独行だから天気によって臨機応変に対処できる。

 曇りでも雨でも決行するのがグループ登山者や団体行楽客。メンバーの都合、宿や交通機関の予約があるから予定の変更ができない。こういう人たちは天気予報などあまり気にならないだろう。

 予報技術が向上し、明日の天気は比較的当たるようになってきた。しかし、週間予報となるとこれが全然ダメ。

 ゴールデンウィークの天気予報は一週間以上前に出る。これをメモしておけばわかるが、実によく外れている。もう信じられないくらいである。予報は一週間前、5日前、3日前と猫の目のように変わる(徐々に適中率が上がっていく)。まるでペテン師のようである。一週間前に出た予報を信じて連休の計画を立てると失敗する。「最終日の子供の日は晴れの予報だから、遠出はこの日にしよう」などと計画すると後で泣くことになる。

 ある年のゴールデンウィークは、「天気は周期的に変わり、晴れの日と雨の日が交互に来る」と予報した。しかし天気の変化が1日ずれたため、ほとんど毎日外れた。サルが予報しても半分ぐらい当たるのだから、こんな予報はない方がマシ。黙ってろと言いたくなる。

 ゴールデンウィークは予報のむずかしい時期であることは確か。天候の不安定な時期の予報は当たらない。天候の安定した時期はよく当たる。これは当たり前だ。不安定な時期にこそ当てるのが天気予報だ。安定した時期ならボクでも予報できる。冬の東京の天気など、毎日「晴れ」と言っておけば90%は当たるのである。

 週間予報がこれほど外れているのに文句を言う人はほとんどいない。一週間前に出た予報など覚えていないからだろう(覚えているのはボクぐらいだ)。

 週間予報はこう見るべきだ。直前に出た週間予報は「前半は晴れ多し、後半崩れる」といった大まかな傾向を見るだけにする。3日前の週間予報は参考程度にしかならない。一週間前の予報は“ただのデタラメ”と思ってまちがいない。ウソではない。メモしておけばわかる。

 週間予報がこんなだから、長期予報に至ってはさらにダメ。偶然当たることもある、といった程度である。今年の冷夏、9月の猛暑も予測できなかった。亀甲占いと大差ないと考えるべきだ。  つづき

 それでも怒る人はほとんどいない。3ヶ月も前に出た長期予報など誰も覚えちゃいない。占い師がテレビで「今年はこんな一年になります」、「結婚は来年でしょう」と占うのと同じ。皆すぐに忘れるから占いや天気予報が成り立つのである。

● 天気予報の構造改革

 ボクは慎重な性格なので、天気予報によらず一年を通じて外出するときは常に折りたたみ傘(アルミ製の小型軽量タイプ)とカッパ(バイクで行動するため)を持ち歩いている。

 朝の予報を見て傘を持っていくかどうか判断する人が多いが、年に何度かは予期せぬ雨に降られるもの。天気予報、信じるあなたがバカなのよ。

 神奈川県に住んでいるが、予報がよく外れる天気パターンがある。高気圧が日本海に張り出して広く本州を覆い、全国的に晴れの予報。しかし、高気圧が北にかたよっていると関東南部だけ雲が取れにくいことが経験的に知られている。これを北高型という。この場合、予報は「晴れ」でもボクは曇りと解釈する。案の定、一日中雲が取れない。予報官はしばしばこの北高型に引っかかって予報を外す。学習能力が足りないのではないか。

 膨大な気象データを集めてコンピュータで分析しても当たらないのに、ズブのシロウトであるボクの予報が当たることもある。これは多くの余計なデータを捨てて意味のある少数の情報だけで判断するからだろう。

 こうなると単純な経験則が案外頼りになる。たとえば梅雨明け直後の一週間はクリアに晴れるとか、台風一過は空気が澄んでモヤがない。その他、秋の長雨、菜種梅雨など、単純パターンをいくつか覚えておくと結構役に立つ。

 日本では天気予報で訴訟が起きたりはしない。晴れなのに雨と予報したために今シーズン最後の紅葉を見逃した、なんて場合は訴えたくもなる。天気予報は適中率がすべて。当たらなければ意味がないのである。

 どんなに外れても天気予報が商売として成り立つのは公務員だからである。気象庁はいうまでもないが、気象協会も準国営と見ることができる。業務上の失敗や損失の責任を取る必要がないというのが公務員の特徴。そういう人種が天気を予測しても当たるわけがないのである。

 天気予報は絶対に民間企業がやるべきである。適中率が社運を左右しなければいけない。複数の会社が競合し、競争の原理が働かなければいけない。アメリカではすでにそうなっている。天気予報専門の会社が独自の予報を出し、適中率を競う。これが当然の成り行きである。

 日本でも最近はテレビ局によって予報が異なるのが普通になってきた。独自の解釈を加えて予報しているわけだ。いい傾向である。

 当たる天気予報を実現するための改革案を考えた。

  (1) 予報官の氏名を明示する
  (2) 予報官の適中成績を公表する
  (3) 予報官のボーナスを適中率スライド制にする
  (4) 予報を外したら損害賠償責任を負う

 小泉総理よ、気象庁の民営化は絶対に必要だぞ。

【天気予報】 現代版天気占い。ゲタのかわりに高額な気象衛星とスーパーコンピュータを使用する。適中率はゲタと大差ない。<AZMAの辞典>


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