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  ほぼ世捨て人/2003年10月

電車通勤の諸問題

  〜 満員電車の乗客に人権はない 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 小田急線に縁があって、20年近く沿線に住んでいる。その間、2度引っ越したが、いつも小田急沿線の部屋を選んでいる。特に理由はない。

 3年前に原付バイクを買ってからほとんど電車に乗らなくなった。通勤、買い物、旅…、移動はすべてバイク。雨でも雪でも台風でもバイク。特にここ2年間で電車に乗ったのは2度しかない(いずれも就職面接のため)。

 バイクのおかげで交通費は数分の一に激減、通勤時間は往復30分短縮。何よりも混雑から解放されて精神的・肉体的に楽になった。いいことずくめである。なんでもっと早くバイクを買わなかったのかと後悔している。

● 乗客に人権はない

 東京とその近郊の電車、地下鉄の混み具合は殺人的である。手提げバッグを放しても落ちない。吊り革を放しても倒れない。通勤で消費するエネルギーは大変なものである。東京の中年男にデブが少ないのは通勤地獄のせいだともいう。

 初めて満員電車に乗ったときは外国人と同じようにカルチャーショックを受けた。狭い車内に押し込まれると動悸が激しくなるのがわかる。人間にとって不自然な状況だからである。ヒトは他人と一定の距離以上近づくと不快感を覚えるようにできている。

 すべての乗り物には定員が決まっているのに、電車やバスは定員を無視して乗せてもかまわないことになっている。乗客は荷物じゃないぞ。常識で考えれば、他人と体が触れ合うほど乗せてはいけないはず。

 それどころか駅員は乗客の尻を押して電車にぎゅうぎゅう押し込んでいる。これは完全な犯罪であり、まともな先進国では考えられないことだ。日本の民度の低さを表している。

 もっとも乗れないと困るのは利用者の方だ。一人でも多く詰め込むのも鉄道会社のサービスの一つか?

 外国人は電車の車内アナウンスの多さに驚く。駅名や乗り換え案内ならまだ目をつぶる(それも要らないのだが)。不要なアナウンスのなんと多いことか。日本語のわからない人は何か重要なことを言っているのではないかと心配になるという。でも重要なことは何一つないのである。

 「ドアに手を挟まないようご注意下さい」。「お降りの際は足元にお気を付け下さい」。「お忘れ物のございませんようご注意下さい」。「お年寄りや体の不自由な方に進んで席をお譲り下さい」。「やむを得ず急停車する場合がありますので吊り革や手すりにお捉まり下さい」。一体乗客はいくつの子供なんだ?

 これを朝っぱらから耳元で聞かされ、疲れた仕事帰りにも聞かされるのではかなわない。

 鉄道会社に言わせると、利用客の強い要望があってアナウンスしているのだという。そういや、こないだプロバイダの女性編集者からのメールにこんな一文が。

みなさんは、電車に乗ることがありますか?私は通勤で利用しています。先日、ちょっぴり帰宅が遅くなった日に、なんとなくアナウンスを聞いていたら「今日も1日お疲れさまでした」という声が。駅員さんの心遣いがとても嬉しくて、思わずジーンとしちゃいました。

 正気か? こういうことをサービスと考える利用者にも大いに責任がある。

 デフレの昨今、随分モノの値段が下がったが、電車賃が下がったという話は聞かない。不況の時代も着実に値上がりしてきた。玉子が物価の優等生なら、電車は物価の劣等生だ。  つづき

● 上がり続ける運賃

 切符の値上げにはみな文句を言うが、盲点は定期券だ。定期は切符よりお得、とボクも昔は思っていたが、計算してみるとメリットが少ない。ボクの勤め先までの一ヶ月の通勤定期代は19回弱往復した運賃に相当する。週休二日制の時代、普通の勤め人の通勤日数は月20日程度だから、切符を買っても大差がない。夏休みやゴールデンウィークなど長期の休みがある月はむしろ損である。

 それである時期から定期をやめ、もっぱら回数券を買っていた(定職がなかったせいもあるが)。11枚セットで10回分の運賃、この方がトクである。

 定期代が上がっても文句を言う人が少ないのは、乗客の大半が“交通費会社持ち”だからだ。交通費手前持ちのボクにとっては収入に直結する問題である。

【定期券】 通勤・通学などのために、一定期間内、一定区間の乗車・乗船などに使用する割引切符。<広辞苑>

 世界一高い運賃で世界一満員の電車を走らせる。鉄道会社は儲かっているはずだが、それにしては利用者へのサービスが悪い。駅前のタクシー乗り場なんか遠くに移して、代わりに無料の駐輪場を作れ。通勤電車からすべての座席を取り払え。バリアフリーの時代、駅の階段の昇り降りが多すぎる。エレベーターやエスカレーターを増やせ。

● 遅れる痴漢対策

 電車の問題といってこれを取り上げないわけにはいかない。痴漢と冤罪事件。痴漢被害者と冤罪被害者の裁判沙汰が増えている。ボクに言わせれば、これは極めて日本的な訴訟である。訴える相手をまちがえている。

 ボクが被害者なら鉄道会社と国土交通省を訴える。織田裕二ふうに言えば、事件は路上で起きてるんじゃない、電車内で起きているのである。客は満員電車にすし詰めにされた挙げ句、痴漢されたり痴漢呼ばわりされるいわれはないのである。

 電車の痴漢は欧米にはない日本独特の犯罪である。なぜ日本で多発するのか。理由は明白、満員電車が多いからだ。相手が動けない状況でコトを行なうのが痴漢。空いた電車では痴漢のしようがない。

 痴漢、冤罪。誰が悪いかといえば、痴漢を働いた男、痴漢を取りちがえた女が悪いに決まっている。が、こういう訴訟には社会をよくする力がない(ここがアメリカと日本のちがいだ)。

 鉄道会社には電車内の治安・秩序を維持する責任がある。痴漢や冤罪が発生するような混雑状況を放置しているのは鉄道営業法違反だ。お客さまがそんな目に遭わないよう対策を講じる義務がある。女性専用車両も一つの(非常にいびつな)対策ではあるが、他にも車内に監視カメラを設置するとか、私服の取り締まり官を乗せるなど、できることはなんでもすべきだ。世界一高い運賃を取っているのだから、それぐらいのことはやって当然。また、定員を無視した詰め込み営業を許可している国土交通省の管理責任も問われるべきだ。

 女は尻を触られるぐらいですむが、濡れ衣を着せられた男は人生が変わってしまう。男なら誰でも痴漢にまちがわれる可能性がある。危ない危ない。冤罪に巻き込まれる前に電車と縁が切れてよかった。


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