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  ほぼ世捨て人/2004年2月

芸能人との遭遇

  〜 ボクが偶然見かけた芸能人 〜

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 今回はボクが実際に見たことのある芸能人を列挙するというミーハー企画。意図して見に行った場合を除き、たまたま遭遇したケースに限定する。記憶を頼りに古いところから。

 30年近く前の高校時代、北海道の函館に住んでいた。大手電気店が催したオーディオ祭りを見に行ったら、司会に現れたのがダミ声でパーマ頭の小柄な男。「私、名前を林家ぺーといいまして…」。名前の面白さに笑いが起こる。もちろん初耳だったが、随分ヘンな名前なので印象に残った。さらに「女房はパー子といいまして…」、また客がウケる。名前でウケを取るというつかみだった。75年頃のぺいぺい時代の林家ペーである。当時すでに結婚していたんだナ。テレビで見かけるようになるのは後年のこと。

 大学時代の76年、札幌にキャンディーズのコンサートを見に行った。前座の司会に現れたのが稲川淳二。初めて聞いた名前だった。当時、深夜放送『オールナイトニッポン』のDJとしてブレイク。早口で威勢はいいが面白くないという今の喋りのパターンがすでにでき上がっていた。

 78年頃、大学のある街の大衆割烹で給仕のアルバイトをしていたとき、客として俳優の故・小松方正が来店、ビールを出した。

 同じ頃、デパートのイベントを終えた所ジョージがクルマに乗り込むところを目撃。ファンに追われて逃げながらもひょうひょうとしていた。『オールナイトニッポン』のDJで、まだギターを持って歌っていた頃のこと。

 87年頃、神奈川県の小田急相模原に住んでいた。電車で都内へ買い物に行く途中だったか、小田急線の新百合ヶ丘駅で急行に乗り換えたら、やはり乗り換えでビートたけしたけし軍団4、5人が乗り込んできた。ボクの真後ろにそのまんま東が立った。遠からぬ場所にTBSの緑山スタジオがあるので『風雲たけし城』の帰りだろう。たけし絶頂期の頃である。  つづき

 周りの乗客もすぐに気づいたが、みな見て見ぬふりをした。東京人の心遣いである。大阪ならわっと囲んで話しかけたり握手を求めたりで放っておかないのではないか。

 都心に出るといつも寄る本屋が三省堂書店神田本店。80年代後半頃か、店に入ると入口でチャック・ウィルソンが自著のサイン即売会をやっていた。感激ナシ。邪魔だよチャック。

 92年、西村知美主演の映画『爆[BAKU]!』の舞台挨拶を見に行ったとき、西村の他に共演の松尾貴史も来た。松尾を見に行ったわけではないので、これも遭遇と言えるだろう。

 93年、深夜のバラエティ番組『2×3が六輔』(日テレ)の公録を新宿・紀伊國屋ホールで見た。番組のホスト・永六輔が出演。永六輔を見に行ったのではなく、共演の西村知美が目当てだが。

 94年、渋谷ハチ公前の麻薬撲滅キャンペーンに西村知美(またか!)が出演するのを見に行った。同じくゲストに来ていたのがスーパーモンキーズ(現在の安室奈美恵MAXの前身)。興味がなかったので印象は薄い。メジャーになる少し前だが、ファンの声援が大きくて、すでに知美ファンを凌駕していた。

 ボクの趣味の一つに自転車の林道ツーリングがある。95年、丹沢山中の静かな林道をマウンテンバイクでトロトロ走っていたら、時代劇のロケに出くわした。撮影スタッフが地面を人工芝で覆っているところを通してもらう。そのとき道端の丸太の上に着物姿の萬田久子がちょこんと腰掛けていた。帰宅してからテレビ雑誌を調べたら、NHKの『宝引の辰捕物帳』という時代劇だった。

 遭遇ではなく意図して見に行ったタレントは、太田裕美、榊原郁恵、森口博子、松本明子などがいる。意外にミーハーな世捨て人である。


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