● 保険は結構です
生命保険に自分から進んで入ったという人は少ないと思う。生きていく上でまったく必要のないものだから、保険のおばさんに勧められて初めて入るという人が大半であろう。
ボクは保険が嫌いで、生命保険、健康保険、介護保険…、保険と名のつくものには加入していない(ただし強制加入の自賠責保険を除く)。保険とは今が幸せな人が入るもの。言い換えれば、失うものがあるから入るのである。食うや食わずの人が保険に入るのは、掘建て小屋に高額なセキュリティシステムを備えるようなもの。ボクは今が幸せじゃないし、何があっても失うものはないので保険は必要ない。いざというときより今の生活を心配しなくちゃ。
地震や火災の心配をするのは今の生活が安定している証拠。失業中の人、借金で首の回らない人、山で遭難中の人はそんなことを心配しないものだ。
保険商品には「生涯設計」とか「ライフプラン」といった文言(もんごん)が混じっている。一般大衆の型通りの人生には当てはまるプランなのだろう。残念ながら世捨て人・AZMA、保険会社のプラン通りには生きてないし、それを誇りにも思っているので、ボクには意味のないプランである。
生命保険は長期契約だ。銀行でさえつぶれる時代、何十年も先の保険金の支払いや掛け金の払い戻しをあてにしていいのだろうか。現につぶれる保険会社も出てきた。自分の将来を心配するなら保険会社の将来も心配すべきだ。
● 愚かな保障
男の場合、結婚する頃に生命保険に入る人が多いようだ。自分の身に万が一のことがあっても残された妻や子供が生活できるように、という発想。保険加入は社会人の責任です、などと外交員に言われてその気になるのだろう。
収入に不釣り合いな高額な保険に入る人もいる。それで夫としての価値を高めているつもりなのだろう。男とは愚かな動物である。保険に入らない夫は価値がないとすれば、男は妻や子供を養う金づるでしかないことの証明である。
自分の死後をお金で保障するとはなんたる不健全な発想だろう。ボクが夫の立場なら、保険料を払う余裕があったらその分仕事をセーブし、いい物を食べて少しでも長生きすることを考える。それが家族のためにもなる。
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夫にもしものことがあったら、妻は子供を抱えて生活に困窮する。これでいいのである。だからこそ妻は亭主の体を気遣い、大切にもする。死後まで保障してしまったら、夫は粗末に扱われるのがオチだ。
夫は、妻にとって自分がどれくらいの存在価値があるかよく考えるべきだ。5千万円の価値しかない夫が2千万円の生命保険に入ったら、生きている間の夫の価値は差し引き3千万円に下がってしまう。夫が死んでも2千万円もらえるからだ。5千万円の価値しかない夫が5千万円の生命保険に入ったら、夫の価値はもはやゼロだ。死んでくれても5千万円もらえる。どうにでもなれだ。この夫が7千万円の生命保険に入ったら…殺されても不思議はない。殺して2千万円の得である。
● 発覚しない保険金殺人
保険金殺人とされる事件としては、ロス疑惑、トリカブト殺人事件、和歌山のヒ素保険金詐欺事件あたりが有名である(1つ目は無罪確定、2つ目は無期懲役、3つ目は係争中)。夫殺し、妻殺し、子殺し、従業員殺し。手口は毒物を食べさせる、交通事故を装う、火事を装うなどさまざまある。しかし、発覚して事件になるのはほんの氷山の一角。発覚しない保険金殺人は数多くあると思われる。
不自然な死に方をした怪しい事例はたくさんあるはずだが、保険金殺人の立件は容易ではない。まず保険会社が死に方に疑問を持ったとしても、証拠がない限り保険金を払わないわけにいかない。自社で調査するには経費がかかる。保険金の支払いを拒否して警察に被害届を出すことはめったにない。被害届が出なければ警察は動かないので事件にはならない。和歌山の一連のヒ素保険金詐欺事件だって、保険会社は警察の勧めに応じて初めて被害届を出すというありさまだった。
この世に命を補償するものなどあってはならない。わざわざ保険に入って自分の価値を下げることはあるまい。しかし、世の中には自分の首に懸賞金をかけて喜んでいる人がたくさんいる。
妻の手料理の味がいつもとちがっていたら食わない方がいい。ヒ素が入ってるかもしれないぞ。
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