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  ほぼ世捨て人/2004年5月

運転音痴の罪

  〜 運転の巧拙は曲がるときわかる 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 通勤やツーリングでいつもバイクに乗っているが、運転のヘタなドライバーが多いのにはうんざりする。ヘタな二輪ライダーもたくさんいるが、今回は話を四輪ドライバーに限定する。運転というのは特殊能力なのか、先天的にヘタとしか思えない人がいる。

 最も多いのは前を走るクルマで左折時のウィンカーを出すのが遅いドライバー。ウィンカーを出してから1秒以内に曲がるドライバーが珍しくない。後続が四輪ならそれでも大過ないが、キープレフトを強いられるバイクにとっては問題だ。1秒の間にウィンカーを見落とせば巻き込まれる。これじゃ気が抜けない。

 もっともこちらも慣れたもので、7割ぐらいの確率でウィンカーが出る前に曲がることがわかるものだ。クルマのスピードが速くなったり遅くなったり、あるいは左に寄ったり右に寄ったりと微妙な兆候があるからだ。

 運転の巧拙はウィンカーの出し方でわかる。これで自己診断もできる。曲がる10メートル手前でも出していなければ、アナタはまちがいなく運転がヘタクソだ。

 運転というのは周囲の行動、状況の変化を推理する予測ゲームである。運転の巧拙は、ハンドリングテクニックや反応速度といった技能を単独で云々しても意味がない。回りの人や車への配慮を含めたトータルな状況判断能力なのだ。ウィンカーを適切なタイミングで出せないというのは周囲の状況に無関心な証拠。このタイプはバックミラーもあまり見ていない。後続車に迷惑をかけていることがわかっていない。自分がヘタであることも自覚していない。こういうのは安全運転能力のない人だから早々に運転をやめるが身のためだ。

 ボクの経験から言うと、正しいタイミングでウィンカーを出すドライバーは5人に1人。残り4人は遅く、うち1人は曲がる寸前に出す直前組。ウィンカーが何のためにあるのかわかっていないグループである。

 ウィンカーとは何か。わかりやすく言うと、汝の進まんと欲する方向を周囲の者に知らしめ、以って注意を喚起せんとするところのモノである。

 曲がる動作をする段になってから進まんと欲する方向を知らしめても遅いのだ。ヘタなドライバーは相手に“対処する余裕”を与えるような配慮ができない。  つづき

 では、交差点のどれぐらい手前でウィンカーを出せばよいか。これは速度や交通事情によっても変わるが、概ね交差点の30メートルほど手前が妥当だろう。これは道交法の規定とも一致する。

 まさに左折せんとするドライバーがミラー越しに後ろのバイクとお見合いするケースがある。ウィンカーが遅いからそうなる。直進バイクを先に行かせるか自分が先に曲がるか、判断は後ろのライダーにまかせるべきだ。大切なことはとにかく早くウィンカーを出すこと。あとは何も考えずとも後ろのバイクがよけてくれる。早目のウィンカーで巻き込み事故の大半は防げる。

 ともあれ左折がヘタだといってもせいぜい接触事故ですむ。命を落とすほどのこともない。ボクもこれぐらいでいちいち目くじらを立てるほど小さい人間ではない。

 しかし、対向車の右折がヘタだとなると話は別だ。バイクの運転で最も緊張するのが交差点を直進する場面である。対向する右折待ちのクルマが不用意に出ることがあり、何度もヒヤッとしている。いわゆる右直事故だ。

 これは即、命に関わる。温厚な庵主もだまって見過ごすわけにはいかない。思いきり警笛を鳴らす。にらむ。ゴーグルを上げて怒鳴る。「◆%□¥&◎野郎!」と、内容はお下劣で書けないが、とにかくコトの重大性を教える必要がある。これは国民の義務だ。こういう地道な努力(?)によって救われる命があるかもしれないのだから。

 交差点を右折する方法、直進車が通過するのを待ってから曲がる。こんな簡単なことがなぜできないのだろう。直進車をかわせないくらいだから、その右の横断歩道を渡っている歩行者なんかに気づくわけもない。クルマの運転は難しいことではない。バイクや自転車の運転に比べたら実に簡単なはずだ。

 ヘタな連中が運転をやめてくれたら交通事故の大半はなくなる。運転音痴のドライバーを路上から排除すべし。ヘタなら乗るな。

 ヘタだとわかって運転するのは飲酒運転、暴力、殺人などと同じレベルの悪だ。法には触れないが、重大な罪である。ヘタなら運転しないというのが大人の良識。「ヘタだから高い自動車保険に入ってるわ」というのは随分とふざけた話ではないか。


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