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  ほぼ世捨て人/2004年8月

スポーツは代理戦争

  〜 スポーツ観戦に熱狂する心理 〜

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 アテネオリンピック開催中である。連日、深夜のテレビ中継を見て寝不足という人も多いらしい。

 ボクはスポーツ観戦にまるで興味がなくて、オリンピックフィーバーどこ吹く風。五輪中継を見るということはまずないので、連日よく寝ている。

 オリンピックは出場した選手たちのお祭り。なぜ他人のお祭りにそこまで熱狂できるのか不思議である。メダルを取るも取らないも選手個人の問題、アンタには関係ないだろ、と言ってもムダなのだ。

 オリンピックに限らず、スポーツ観戦でひいきチームの勝敗に熱くなる人が多い。阪神タイガースの応援が生きがいという人。巨人軍が優勝を逃すと本気で怒る人。そんなに巨人を優勝させたいなら自分が巨人に入団し、自分の腕で、自分のバットで巨人を優勝させれば? サッカーのサポーターしかり。自分の人生もきちんとできない若者がチームの勝敗に怒鳴ったりヤジったり。嘆かわしい姿ではないか。

 かくもスポーツ観戦に夢中になる心理は何なのか。そもそもスポーツは人間にとって何の意味があるのか、これには定説がある。ヒトは闘争本能をゲームに昇華させたとする説だ。

 スポーツは平和なときにヒトの闘争欲求を満足させるために生まれた。ルールを決めた上での戦争がスポーツだ。代理戦争である。

 闘争本能がゆがんだ形で出てきたのがスポーツ応援熱。試合を観戦するというのは闘争の代償行為、疑似体験と見ることができる。勝負の行方に血湧き肉踊るのはそのためだ。声をからして声援したりメガホンを振り回したりチアガールが飛び跳ねたりすることで闘争欲求を発散しているわけだ。

 「スポーツ=戦争」という目で見ると、いろいろな現象の説明がつく。たとえばスポーツと戦争で使われる言葉には共通するものが多い。決戦、敗退、攻防戦、一騎打ち、強敵、無敵、主将、主砲、殊勲、凱旋・・・。  つづき

 体育会系の体質は軍隊に通じるものがある。日本のスポーツ界はシゴキが基本、理論を無視した精神論を振り回すところなど帝国陸軍とよく似ている。プロ野球各球団の応援歌の歌詞は軍歌そのものである。サッカーの試合で暴れるフーリガンはさしずめテロリスト、テロの時代を反映している。

 スポーツ対決の多くは地域対抗、国対抗となっている。それが一番盛り上がるからだ。全国高校野球は各県の代表校が戦う。プロ野球も大リーグも、各球団に本拠地というものがある。いずれも地元の代表を応援するという地域対抗戦。自分と同族の遺伝子を残そうとする本能を利用する形だ。

 オリンピックも国対抗だからこそ盛り上がる。まさに世界大戦だ。日本選手団の活躍は国威発揚。日本人なら当然日本選手を応援する。日本人が北朝鮮を応援してもいいわけだが、そんな人はいない。もし出場選手の国籍枠を取り払って個人対抗にしたら盛り上がらないだろう。

 テレビの前で日本選手の戦績に歓喜する大衆は、大本営発表に歓喜する戦時中の国民とダブる。口では反戦だ、平和だと唱えるが、本能の部分ではみんな戦争が大好きなのである。

 オリンピック開催期間と重なった終戦記念日(8月15日)。戦没者に黙とうして反戦平和を誓った人が、舌の根も乾かぬうちに日本選手団の戦いに熱狂するのは皮肉の利いた光景である。このエネルギーが軍国主義に向かわぬことを願う。

 ボクはスポーツやオリンピックの熱戦に対して一貫した傍観者。これは戦争に対する態度にも通じる。軍国主義、民族主義がキライな根っからの平和主義者(左翼系のエセ平和主義者とはちがうのだ)。アタクシめは日本選手の活躍に熱狂しない非国民です。

 さて、国民注目のアテネ五輪世界大戦。本日の大本営発表によると、皇軍水泳隊・北島康介ハ、平泳ギ弐百米戦ニ於イテ欧米列強ヲ撃破シ、以テ金ノ勲章ヲ獲得ス。万歳。


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