前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ 次のコラム

  ほぼ世捨て人/2004年9月

旅のスピード

  〜 速度の遅い旅ほど面白い 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 自転車歴38年、永らく旅のスタイルはサイクリングだったが、4年前に原付バイクを購入。以来もっぱらバイクツーリングにハマっている。

 原付になって自転車より格段に行動範囲が広がって満足しているが、昔から漠然と考えていたことに確証が得られた。それは旅はスピードが遅いほど楽しいのではないかということ。

 自転車の平均移動速度は15km/h、原付バイクは38km/h。移動速度は2.5倍になったが、途中の景色が目に入りにくくなった。

 サイクリングのいいところは左右の景色がよく見えることだ。走行中に喫茶店のおススメメニューが読めたり、道端にひっそり咲く花が見えたり、紅葉の色づきに目を奪われたりする。

 バイクは高速である分よそ見がしにくいので、目に入る情報量は明らかに減った気がする。景色が印象に残りにくくなったのである。

 これは理論的にも説明がつく。スピードが上がるほど視野の狭窄(きょうさく)が起こり、回りの景色が見えなくなることが知られている。

 もう一つ、自由度の問題もある。自転車なら気になるものがあるとスピードを落としたり、見晴らしのいい場所では立ち止まってじっくり眺めることができた。が、バイクになると止まるのが面倒なのでそのまま通り過ぎてしまうことが多い。バイクで知らない街を探索するという気にはならない。そういう細かい旅にはより自由な自転車の方が適しているのである。

 クルマではさらに景色の印象が薄くなり、一層不自由になるだろう。ビューポイントがあってもやたらに止まるわけにはいかない。後続車が気になるし、駐車スペースも必要、小回りも利かない。

 ドライブにはドライブの楽しさがあるので同列の比較は意味がないが、クルマでは移動途中のおもしろい部分をすっ飛ばす旅になるだろう。

 ヘルメットのシールド一枚、クルマのフロントガラス一枚でも景色の鮮度が違ってくる。空気感、息吹、匂い、風、気温、音などの情報量が激減するのである。  つづき

 旅に何を求めるかによるが、ボクのように旅の目的を“途中の景色を鑑賞すること”と考えれば、スローな旅ほど上等ということになる。旅は貧乏なほどおもしろいというが、この辺りに理由の一つがありそうだ。

 この理屈を拡張すれば、バスの旅、電車の旅、新幹線の旅、飛行機の旅と、スピードが上がるほど旅としては下等となる。景色が目に入らなくなり、立ち止まれなくなり、移動過程の楽しさは失われていく。もちろん単なる移動手段と考えるならスピードが速いほど便利ではあるが。

 自転車より徒歩の方が旅としてはより上等ということができる。ハイキング、登山、放浪の旅。鳥のさえずりが聞こえたり、腐葉土の匂いがしたりと、体感できる情報量が多くて楽しい。

 もっといいのは散歩だ。ゆっくり歩けて、気が向いたら寄り道できて、好きな場所で休憩ができる。散歩は旅の王様と言えそうだ。

 究極の旅はスピードゼロ、つまり見たい場所に滞在する、あるいは住んでしまうことだ。その土地や景色を満喫する方法としてこれに勝るものはない。キャンプや別荘暮らしが楽しいのは移動速度がゼロだからと考えれば納得がいく。

 近い将来、人類の夢である宇宙旅行が可能になるというが、そんなものがおもしろいはずがない。何もない宇宙空間を時速3万キロで移動、つまらなさの極致。旅としては下の下だ。最も複雑で情報量の多い地上をうろつきまわる方がよほど楽しいのだ。

 時間に追われる現代。限られた休日に遠出をするには、移動手段と割り切って早い乗り物で移動し、現地に着いてからじっくり歩いて楽しむというのが無難なやり方かもしれない。いかに歩く時間を長く確保するかが旅のポイントとなる。

 歩きは時間がなければできないぜいたくな旅のスタイルである。景勝地には静かなハイキングコースがたくさんある。そういう道に踏み込んでみたいと常々思うが、時間の関係で省略せざるを得なくて悔しい思いをすることが多い。退職後はマイナーなハイキングコースを丁寧に歩きたいと思う。

 旅も人生も、急ぐと失うものが相当ある気がする。


前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ ページ先頭 次のコラム
Copyright(C) 2005. AZMA

inserted by FC2 system