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  ほぼ世捨て人/2004年9月

ニコチン中毒の撲滅

  〜 たばこは史上最悪の麻薬 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 日本でも嫌煙権が認められるようになった昨今。職場、駅のホーム、電車、飛行機などは禁煙、分煙が主流になった。数は少ないが路上の歩行禁煙、ポイ捨て条例を施行するところも。

 たばこへの包囲網は狭まってきた。ますます肩身が狭くなる喫煙者。「ちょっと行き過ぎじゃないの?」という声も聞かれるが、ボクに言わせればまだまだである。

 喫煙者にはたばこを吸う権利、喫煙権があるのではないか? ハイ、確かに吸う権利はございます。好きなだけ吸ってよろしい。ただし吐いてはいけない。副流煙もすべて吸うこと。

 喫煙者はいつでもどこでもたばこを吸いたがる。灰皿があろうがなかろうがお構いなし。何を飲み食いしようと自由だが、大人が子供とちがう点は時と場所をわきまえるところにある。都市生活で人のいない場所などほとんどないのだから、健常者としては「そんなに吸いたきゃ家に帰ってから吸えば?」というのはごく当然の言い分だろう。ところが、たばこに関してはこの当たり前の理屈が通用しないのである。単にたばこが好きだからではない。

 ラーメンが好きだからといって歩きながらラーメンを食べる人はいない。でも歩きながらたばこを吸う人はたくさんいるのだ。なぜか。薬物中毒だからである。

 ニコチンはれっきとした麻薬であり、特に依存性の強い麻薬であるとアメリカの医療専門家は断言している。このあたりの認識が日本は非常に甘い。

 たばこがやめられないのは薬物中毒だから。覚せい剤やコカインがやめられないくらいだから、たばこがやめられないのは当然である。

 喫煙者の行動を観察すると、たばこが麻薬であることがよくわかる。会社に着いてまず一服吸う。午前の休憩時間に一服。昼食の前に一服。午後の休憩に、終業後に、駅のホームで一服・・・、「朝から晩までスモーキング・ブギ…」という歌のごとし、2時間とおかず吸っている。典型的な中毒症状である。  つづき

 3時間も吸わないと大抵の人は落ち着きがなくなり、指が震えてくるはず。禁断症状である。休憩や食事は忘れてもたばこを吸うことは決して忘れないのである。

 仕事中にラーメンを食べるのが許されないのと同じように、勤務中に禁煙にするのは当然のこと。そもそも会社に喫煙所なんてものも必要ない。会社にいる間だけでも吸わずにいられないというのは完全な薬物中毒であるから治療が必要だ。会社は最初から薬物中毒患者を採用すべきではないのである。

 日本のレストランではいまだに客にたばこを吸わせているところが多いが、食事がまずくなるので言語道断。そういう店はレストランと呼ぶに値しない。

 今までの考え方では、治療の必要な薬物中毒患者に公共の場で堂々とたばこを吸わせ、健常者を“奇特な人”として禁煙席に隔離するという本末転倒なやり方が主流だった。

 最近は学校、官公庁、病院で全面禁煙というところがちらほら出てきたが、そういう場所で麻薬を締め出すのは当然のこと。喫煙所も禁煙席も必要ない、公共の施設では一切吸わせない。それが本来のあるべき姿である。最近やっとその方向へ向かいつつある。

 喫煙者がかわいそうだというのは、麻薬中毒患者にも麻薬を吸う場所を与えよと言っているわけで、受け入れられる話ではない。

 たばこは人類の負の遺産の一つ。麻薬としては幻覚症状が出ないため害悪が見過ごされやすいが、他の麻薬で命を落とすよりたばこで命を落とす人の方が遥かに多いのだ。日本ではたばこの火の不始末が火災原因の第2位。この社会悪を根絶すれば、国内だけで毎年数十万人の命が助かるかも知れないのである。

 たばこは本来、ポイ捨て条例などではなく麻薬取締法で取り締まるべきもの。たばこの喫煙、製造、販売の全面禁止、そういう時代がボクの生きているうちに来るかもしれない。


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