四十代半ばになり、普通なら中学、高校ぐらいの子供がいる年代。早い人なら孫もいるだろう。ボクは人の親ではないが、親の気持ちもわかる年齢ではある。
「親思う心にまさる親心」。親は親身にわが子のことを思っているものだという。「親の意見と茄子の花は千に一つも仇(あだ)はない」。なすびにむだ花がないように、親の意見には無駄なものは一つもないからよく聞けという。
そうだろうか。ボクは親の意見は一般に無駄が多いと思う。
「親の十七 子は知らぬ」。親も人の子、完璧で非の打ち所の無い人だと思っていたのが、親にも欠点があることがわかってくる。それが成長ということだろう。
親というのは概して保守的な動物である。保守的だからこそ結婚して人の親になったわけだ。あるいは人の親になると保守的になるのか。
親は二言目には勉強しなさいと言う。勉強して偉くなることが唯一最高の人生だと思っているかのようだ。
ボクが子供の頃、野口英世に感動して医者になりたいと言ったらAZMA母は大いに喜んだ。その後、一日中車に乗れるタクシー運転者になりたいと言ったらAZMA母は大いに悲しんだ。
多くの親は子供にエリートコースを歩むことを期待する。それは悪いことではないが、人生のすべてではないだろう。
子供が冒険したいと言えば・・・たとえば自転車で日本縦断したいと言えば、親はそんな危ないことはやめろという。「よーし行ってこい」という親はいない。子供が自力で人生を切り開こうとすると、その芽を摘むのが親。その戒めとして「可愛い子には旅をさせよ」という。
子供が二十歳で「結婚したい」と言えば「まだ早い」といい、30歳で結婚しないと「早く結婚しろ」という。子供の人生をよくよく考えて言っているわけではないのである。
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もし親の言う通りに生きたらどうなるか。勉強ばかりで青春のない優等生、レールの上を進むだけのエリート、沈香も焚かず屁もひらぬつまらない人生を送ることになるだろう。
子供は親を乗り越えて一人前になるもの。いつまでも親の言うことを聞くようではダメだと言える。人生何か変わったことをやろうと思ったら親に相談するのは最も避けなければならないことだ。
子供が成長するにつれ、親は子供の独り立ちを阻む存在として立ちはだかる。子離れできない親である。
「親と同居するか」「家業を継ぐか」は古今東西人類普遍の悩みだろう。結婚したら独立したいが、親は同居を望む。その中間を取って「二世帯住宅」という情けないものもできた。成人が親と同居するというのは動物の世界では不自然なことである。
親はさらに年をとると「早く孫の顔が見たい」と言い出す。「孫は子より可愛い」。孫ができると親バカぶりは頂点に達する。父母が厳しくしつけた子供を祖父母が甘やかしてダメにする。
演歌に大泉逸郎「孫」という曲がある。ボクの嫌いな歌の一つである。
♪なんでこんなに可愛いのかよ 孫という名の宝物
…なんで可愛いのかというと、自分の遺伝子を受け継いだ直系の子孫だから。つまり大泉逸郎はこのとき超親バカモード全開というわけ。この後さらに、じいちゃんにそっくりだよと言われて嬉しくて目じりが下がったとか、もみじみたいな手で幸せをつかめ・・・と続く。聞いちゃいられないという感じである。
親とはざっとこんな生き物である。親の恩は海よりも深いが、同時に親は子供の人生なんて何もわかっちゃいないとも言える。親の意見は尊重しても盲信してはならないだろう。
親は子供に期待をかけるが、子供には子供の人生がある。この世に生をさずかった以上、自分の人生は自分のもの。親のための人生ではない。親との対立で悩むことがあれば、これがその答えだ。ボク自身も親の期待を裏切って好きなように生きている。
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