前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ 次のコラム

  ほぼ世捨て人/2004年10月

セクハラが何だ

  〜 男の扱いはもっとひどいぞ 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 セクシャル・ハラスメント、略してセクハラ。性的嫌がらせなどと訳される。

 セクハラ裁判として有名なのが、大阪府知事が選挙カーの中で女子大生の運動員に1時間にわたってイタズラしたという事件。判決は1,100万円の賠償命令というから驚く。この女性はどんなエライお方だったのだろう。裁判費用に百万円かかったとしても1千万円の純益。これを仕事と考えるなら時給1千万円! 実に割のいいアルバイトである。

 などと書くと不謹慎だと言われそうだが、男なら気絶するほど殴られても、命の危険にさらされても1千万円を取るのは難しいだろう。男の値段は安いのだ。

 最近はセクハラを「エッチな行為や言動」という狭義の意味からさらに「性別にまつわる差別全般」にまで拡大解釈する傾向がある。女性にとって便利な言葉であり、都合よく使われすぎているきらいがある。

 職場の女性に「キレイだね」と言っただけでも「それってセクハラよ」と言われる。確かにキレイでも汚くても職務の遂行には関係ないのだから、不適切な会話ではある。ならば男性に対して「ダンディね」なんてのもセクハラであろう。

 嫌な上司にからかわれたり、しつこく誘われたり、肩や尻を触られたりするのは人間の尊厳を傷つけられる行為にちがいない。が、セクハラという怪しげな言葉のせいで女だけが不当に差別されているような印象が広がっている。

 「男にはセクハラがなくていいわね。」

 確かに男には狭義のセクシャル・ハラスメントはほとんどない。その代わりセクシャルでないハラスメントのオンパレードである。

 日本の上司と部下(男)の関係は極めて封建的である。男は怒鳴られ、いびられ、ひたすら先輩を立て、上司に迎合。残業や休日出勤を強要され、ときに徹夜で働く。仕事が終わった後も赤提灯に付き合わされ、休日の接待ゴルフに振り回される人もいる。ほとんど奴隷扱いである。  つづき

 企業戦士というくらいで、男は兵士であり、人格もプライドも認められていない。特に若いうちは人間扱いされない。セクハラどころではないのである。

 多くの男が出世のために、あるいは処世術としてそういう状況に従わざるを得ない。好むと好まざるとに関わらず、これが男の現実である。ボクがビジネス社会から足を洗ったのも、組織の中で人間としての尊厳が守れないからだ。

 それに比べれば、一般に女は随分恵まれているのではないか。女性は上司とタメ口を利き、「さん」づけで呼ばれ、腫れ物に触るように扱われている。その上さらに「キレイだね」と言ってはいけないという。女の地位はもはや神の領域に達したと言っていいだろう。

 女性の社会進出がなかなか進まない中で、セクハラという言葉だけが欧米からやってきて一人歩きしている。欧米では女性を取り巻く状況がまるでちがう。ウーマン・リブからキャリア・ウーマンへ。欧米の女性は乳飲み子を預けてまで男並みに働くことで権利を獲得してきた経緯がある。その延長上にセクハラ問題がある。日本の女性が社会的責任を負わず、ただ守られるべき存在として保護されてきたのとは根本思想が違うのだ。

 日本ではキャリア・ウーマンはまだまだ少数派。女性の地位向上や出世は男と闘って勝ち取るのがスジだ。しかし、どの女性もセクハラを仕事の妨げとしか考えないのは不思議だ。むしろセクハラを積極的に利用し、女の武器をフルに生かして出世しようとする女性がいてもおかしくないはず。

 上司が肩に手を置いたぐらいでガタガタ言うとは何だ。上司に取り入るチャンスじゃないか。出世のためにお尻の一つも触らせてみたらどうか。右のオッパイを触られたら左のオッパイを向けなさい。

 女性はすべからくそうすべしと言っているのではない。仕事のためにそこまで覚悟を決める女性が十人に一人ぐらいいてもおかしくないと言っているのである。男はそれぐらいの犠牲を払っている。


前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ ページ先頭 次のコラム
Copyright(C) 2005. AZMA

inserted by FC2 system