前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ 次のコラム

  ほぼ世捨て人/2004年11月

こんなものいらない

  〜 普及したから必要になった 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 世の中を見渡せば、必要のないものがいかに多いことか。『巨泉のこんなものいらない』という番組があったが、「AZMAのこんなものいらない」をぶちまけたい。

 たとえば、クルマを運転する人にとってクルマはなくてはならないものだが、クルマを持たない人にとってクルマはあってはならないものだ。日本の都市生活にクルマは必要ない。車のせいで歩行者は信号で停まったり、危険な交差点を渡ったり、歩道橋を上り下りする必要が生じた。常に命をおびやかされ、のんびりと歩けない。車に乗らずんば人にあらず。その結果、ますます車が普及するという悪循環だ。

 たとえばクレジットカード。治安のいい日本では現金を持ち歩くことに何の不安もないので、カードなんか必要ない。第一、ボクのように所得が低くて職業に難のある(?)人はカードを作ってもらえない。ところが、プロバイダ料金やネット通販の代金支払いにカード払いしか受け付けない不届きな業者がある。カードがないと信用ある社会人と見なされないのである。

 たとえば電話。就職するにも宅配で荷物を送るにも電話番号の記入が必要な世の中。住所、氏名と並んで電話番号が身元の特定に不可欠な個人情報になってしまった。

 電話なんか必要ないが、電話が発明されたために遠くの人と話す必要が生まれ、電話が不可欠なものになった。発明したから必要になったのである。発明は必要の母だ。

 核兵器がまさにそうで、発明されてしまったから絶対になくてはならぬものになった。コンピュータが発明されたせいで処理すべき情報量が増大、コンピュータ抜きでは成り立たない世の中になった。

 ボクの人生、携帯電話はまったく必要ない。それを誇りにもしているので、みんなが持ってもオイラは持たない。それですめば何の問題もないのだが、ケータイが普及したために公衆電話が減りつつある。このまま行くと出先で電話がかけられない事態になりかねない。  つづき

 さらにケータイでしかアクセスできないホームページも登場。そのうちケータイによる支払い、ケータイによる本人確認なんてことが一般化したらどうするべ。ケータイを持たずんば人にあらず、そういう時代が来るかもしれない。いやだいやだ。

 クルマ、クレジットカード、ケータイ。これはボクの「いらないもの3K」だ。

 必要だから普及するというより、普及するから必要になる。高速道路のETCもいずれそうなるだろう。

 多くの一般大衆にパソコンは必要ないと思う。パソコンがあれば文章が書ける、お絵描きができる、音楽が聴ける、買い物もできる、テレビだって見られるという。でもそんなことはパソコンがなくてもできるのだ。

 パソコンなんか使わないというアナログ派のお父さんも、職場でパソコンにさわれないと仕事に差し支えるようになった。会議の資料がパソコンに入っている、上司の指示がメールで来るとなれば、使わないわけにもいかない。

 いらない職業もある。30年以上病気一つしないボクは文字通り“医者いらず”だ。医者がいるから病人が増える。犯罪者の味方、弁護士がいるから犯罪が増える。これは本当だ。新聞勧誘員、デパートのエレベーターガール、議員、占い師もいらない。

 化粧品、健康グッズ、カツラ、ウォ○ュ○ット、たばこ、電子手帳、麻薬、宗教、年金、生命保険・・・、どれも必要ない。国があれば地方自治体はいらない。5%も市民税を取って何もしてくれないのだから。

 インターネットにはいらない情報が氾濫している。チャットや掲示板などその最たるもの。いらないホームページもたくさんある。中でも知ってソンする情報満載の『世捨て人の庵』はいらないサイトの代表ナノダ。まいったか。


前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ ページ先頭 次のコラム
Copyright(C) 2005. AZMA

inserted by FC2 system