子供の頃は目がよかった。学校の視力検査では、中学2年ぐらいまでいつも左右1.5。それ以外の結果が出たことがほとんどない。
その後、高校受験、大学受験と目を酷使するようになると、視力がどんどん下がり始めた。高校の時はあまりにも急に視力が落ちたため、眼医者に通ったこともある。仮性近視である。
社会人になると、仕事(コンピュータソフト開発)や読書、趣味の英語で辞書を引いたりと、さらに目を酷使するようになる。
通勤電車の中ではよく本を読んだ。混んだ電車内での楽しみといえば、本を読むか痴漢をするかしかなく、もちろんボクは痴漢などしないから本を読むしかないわけだ。どうしても読書量が増える。
目の疲れがひどくて、よく目薬をさしていた。が、効果はほとんどなかった。
視力はどんどん落ちて、30代半ばが最悪で、なんと0.3まで下がった。外の景色がいつもぼうっと見えた。このころは目の奥が常に痛かった。目と歯の神経はつながっているのか、目に連動して奥歯も痛くなった。
それから10年たった現在、視力は1.5である。驚異的な回復と言っていいだろう。この間に視力回復トレーニングをしたとか薬で治療したというようなことは一切ない。
視力回復の秘密は何か。老眼のせいだろうって?失敬だなキミは。それも多少あるかもしれないが、回復の秘密は、実はパソコンとバイクにあるのだ。
97年にパソコンを購入。翌年以降、パソコンで文章を書いたりインターネットをする時間が増えた。これでまず本を読む時間がなくなった。人の持ち時間というのは決まっているので、パソコンやインターネットをやれば、当然読書の時間は減るわけだ。
当初からパソコンを床置きにしたことも大きな決め手になった。電脳コラムにも書いたが、17インチブラウン管ディスプレイを、机上ではなくコタツ机の下に斜め上向きに置き、わずかに斜め上から見下ろすようにした。
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この置き方だと目と画面が1メートルも離れているので、一日中パソコンを使っても目がまったく疲れないのである。多くの人はパソコンで目を悪くするが、ボクは逆。パソコンで目がよくなったのである。
2000年に原付バイクを購入。通勤にもバイクを使うようになった。バイクの運転というのは(もちろんクルマの運転もそうだが)ほとんど常に遠くを見る作業である。毎日、朝夕、一定時間、遠くを見る生活になった。毎日同じ時間に電車内で本を読むのとは大違い。目にとっては劇的な環境変化といっていいだろう。
パソコンとバイクがボクの目を救ったのである。おかげで今は遠くも近くもよく見える。
ボクぐらいの歳のおじさんになると、細かい字が見えにくくなり、本や新聞は腕を伸ばして頭を後ろに反らせて見る人が多い。ボクもいずれそうなるのだろうが、今のところ老眼の気はない。細かい字も苦にならない。
老化について、ハメマラという言葉があるそうだ。歳をとると歯、目、マラの順に衰えるという意味。ボクは今のところ3つとも快調である。
現代の都市生活で遠くがはっきり見えることにどれだけ意味があるのか。醜悪なものが見えるだけじゃないかという疑問もある。しかし、田舎や自然の中に入れば、遠くがくっきり見えることは重要になる。登山やハイキング、旅行で遠景がよく見えないと感動は半減すると言っていい。
人間は視覚の動物。目は何ものにも代えがたい財産だ。いかに極貧であろうと、「1億円出すから眼球を2個売ってくれ」と言われて、売る人はいないだろう。
生きることは見ることだ。全盲でも幸せに生きることはできる。とはいえ、やはりわれわれは座頭市じゃないのだから、よく見える方が生きる感動も大きいのである。
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