男と女、どっちが遊び人で浮気者なのだろうか。
現代社会の結婚は世界的に一夫一婦制が主流。結婚の予備段階たる恋愛も、当然一対一の交際が暗黙の基本となる。その基本を破れば約束違反であり、不貞、不実である。
しかし、日本では女は貞節を守るもので、男は浮気するものであるというのが社会的コンセンサスになっている。男たるもの遊び人であって欲しいと望まれているフシさえある。
浮気は男の甲斐性だなんて言っている。甲斐性ってなんだ?
【甲斐性】:物事を立派にやりとげていく能力。<広辞苑>
浮気は男の立派な能力ってわけだ。「浮気は芸の肥やし」という人もいる。
当代切ってのプレイボーイの松方弘樹や石田純一あたりがテレビで「男は浮気する動物なんです」みたいなことを言う。すると男はみんなそうなんだという概念ができて、ますます社会的コンセンサスを強化することになる。「男だから浮気は仕方ないわ」と妙な納得をする女性まで出てくる始末だ。はたしてそうなのか。
これを生物学的に見るとどうなるか。人間も生物である以上、自分の子孫を残すという大切な目的を持って行動する。
男の場合、相手さえいれば100人でも200人でも自分の子孫を残すことができる。一方、女は一生のうちに残せる子孫がわずか10人余り。
男が100人の遺伝子を残すためには少なくとも10人の女とつき合う必要がある。女がMAX10人の子孫を得るためにはたった一人の男がいれば充分だ。
自分の遺伝子をできるだけ多く残そうとするなら、男の方が遊び人だということになる。子孫繁栄を第一とするなら、社会の理想は一夫多妻制ということになりそうだ。
ほうら、やっぱりね。男の方が遊び人で浮気者なんだ。と思うのは早計である。
数学的にはそういうことはあり得ない。男がつき合う相手は女であり、現実社会では男と女はほぼ同数だから、男の恋愛経験が増えれば女の恋愛回数も増えることになる。
それどころか、年上の男と年下の女の組み合わせが大半だから、同じ年齢の男女をとれば、女の方が平均して経験豊富という結果になる。
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さらに男は40代、50代でも男だが、女の売れ筋は30代ぐらいまでと考えれば、男性は少ない女性を奪い合う形になり、その点でも若いうちは女性の方が遊び人ということになる。
もし世の中のカップルが“経験豊富な男”と“うぶな女”の組み合わせばかりだとすると、カップルになれない(ならない)男が大量に存在することが前提となる。ならば男の方がうぶで“貞節”な人が多いと言わねばならない。
いずれにしろ男だけが遊び回っていると考えるのはつまらない恋愛ドラマの見過ぎ。いくら生物学的に10倍の繁殖力があっても、女が10倍いるわけじゃない。所詮は十願って一叶うのが人生である。
それでも世間はプレイボーイな男、うぶな女を求める。松任谷由実の歌にもこんなのがある。
男はいつも最初の恋人になりたがり
女は誰も最後の恋人でいたいの
松任谷由実『魔法のくすり』
統計学的にはむずかしい要求である。すべての男女がそのようなカップルを作ることは不可能だ。
ちなみに“最後の恋人でいたい”とは結婚したいという意味だろう。プレイボーイでもいい、あたしを最後にしてくれれば、というムシのいい願いである。結婚さえすれば、女はMAXである10人の子孫を確保できる。男にとっては10人で打ち止めを意味する。
山本譲二は演歌『みちのくひとり旅』でこう歌っている。
たとえどんなに 恨んでいても
たとえどんなに 灯りがほしくても
お前が俺には最後の女
俺も過去にはいろいろ女性遍歴があったけど、お前ほどの女はいなかった、と言ってなぐさめているのである。
もしこれを「お前が俺には最初の女」とやったらどうか。
「アラ、童貞だったの?」となり、なぜかイイ男がほぼ台無しになってしまう。社会的コンセンサスにマッチしないからだ。
男と女を入れ替えてみたらどうなるか。
あんたがあたしには最後の男
なんだか「ねえさん遊び過ぎじゃない?」という感じになってしまう。
やはり世間は遊び人の男、うぶな女を欲している。それは社会的勘違いのなせる技か、あるいは本能なのか。しかし、何度も言うように現実はまったくちがうのである。
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