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  ほぼ世捨て人/2005年2月

自殺の深層心理

  〜 自殺願望の正体を探る 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 掲示板で仲間を募って集団自殺する人がいる昨今。自殺願望とは何か。彼らはなぜ死を選ぶのだろうか。

 ボク自身は死にたいと思ったことはないし、自殺する人の気持ちなどわからないし、別にわかりたくもない。

 …と言ってしまえば、このコラムはここで終わってしまうので、もう少しねばってみる。

 人は不幸になると自殺しやすくなると考えられている。確かに不況になると自殺者が増える。リストラ、借金苦、病苦…、絶望や苦悩は自殺の原因になりうる。これを“失意の自殺”とでも呼ぼう。

 しかし、どんなに不幸でもフツーの人には自殺という選択肢はない。一方、不幸でなくとも死ぬ人は死ぬ。掲示板で集団自殺する連中が特に人より不幸だとも思えない。不幸とは関係ない人の自殺願望はどう説明したらいいのか。

 命の尊さがわかってないからだと言う教育関係者。鬱病によるノイローゼが原因だとする精神科医。エライ先生や専門家がいろいろ理由をつけるが、どうもピンと来ない。

 自殺志願者に聞けばわかるかというと、本人の口から納得のいく説明を聞いたことがない。本人にもよくわからないのではないか。

 例によってAZMA理論で自殺を考えてみる。ボクの理論によると、自殺とは復讐であり、抗議であり、秩序の破壊である。

 自殺は、友人、同僚、家族、親族らに対する強烈な仕返し、当てつけ、いやがらせになる。死ぬことによって残った者を困らせたい、というのが自殺願望の深層心理ではないか。これを“復讐の自殺”と呼びたい。

 学校でのいじめを苦にした自殺は、義憤や復讐心が根底にある。本当はいじめっ子をナイフで刺してやりたいのだが、それができないから死を以って抗議、反撃する。“復讐の自殺”には必ずメッセージがあると考えるべきで、単なる絶望や逃避ではない。  つづき

 失恋による自殺しかり。ふられた人が手首を切ったり飛び降りたりするのは、冷たくした相手に対する当てつけ、復讐であろう。世をはかなむ自殺とは意味が違う。

 女子中・高生に多いリストカットは、親や学校に対する反抗欲求がいびつになって現れたものと考えられる。

 ボクは職場で嫌なことがあると、無性に仕事を辞めたくなるのだが、よく考えるとこれは職場への復讐心から来るものではないか。ボクのごときアルバイトでも、辞めるとなれば会社は別の人間を雇い、仕事を教えなければならず、少なからぬ迷惑をかけることになる。だから「辞めます」と言うときの自分を思うと快感であり、辞めたい衝動にかられるわけだ。これは自殺願望と同じではないか。仕事を辞めると一番困るのは自分自身だが、犠牲を払ってでも職場の秩序を壊してやりたいというのがボクの退職願望の正体ではないか。

 “復讐の自殺”は、自殺したことを周囲に知らしめなければ意味がない。だから屍(しかばね)をさらすか遺書を書くのが基本となる。

 一方、人知れずひっそりと死ぬのは“失意の自殺”と言える。死体があがらないような死に方(入水自殺、青木ヶ原樹海の遭難、岬からの飛び込みなど)がこれだ。

 ボクの理論から言うと、自殺とは自らの死を以って恨みを晴らす行為となる。一種の自爆攻撃である。

 自殺と殺人の間に決定的な違いはない。他人を巻きぞえにした自殺は珍しくない。無理心中もこれに当たる。銃乱射事件などは殺人であると同時に自殺でもある。

 宅間守の児童8人殺傷事件は、殺人であると同時に“復讐の自殺”でもあった。親族や社会にできるだけ迷惑をかけて死にたかった。宅間の死刑執行は残念ながら自殺幇助にしかならなかった。

 ボク自身、自殺する心配は皆無だが、“辞めたい”という願望にかられることがあり、衝動的に退職する可能性ゼロとは言えない。それが心配だ?


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