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  ほぼ世捨て人/2005年3月

問答無用のすすめ

  〜 不毛な議論は人生のムダ 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 インターネットで議論している人がたくさんいる。本気で熱くなってる人、ケンカしてる人もいる。

 青いなと思う。他人と意見がちがうことに慣れていないのだろう。

 議論に夢中になるのはアナタと相手が同じ穴のムジナである証左。お里が知れてしまう。

 サイト運営者もヒマな人が多いのか、掲示板、ブログ、わざわざ議論を呼び込むようなしくみを作って、くだらない意見にせっせとレスをつけている。

 趣味は人それぞれだから、好きでやっているなら何も言うことはない。

 ただ、つまらないなと思っているなら即刻やめたほうがいい。貴重な時間をドブに捨てるようなものだ。

 ネットには議論好きなヒマ人がたくさんいる。人の意見にケチをつけるしか能のないバカもいる。アナタの心やすらかな時間をこやつらに売り渡してはいけない。

 ボクはといえば、ネットにつないで7年、自分のサイトを持って6年になるが、不毛な議論にただの1秒も費やしたことがない。

 庵のサイト紹介文でも、開設当初から「人と議論しない」と明言している。

 なぜって、現実社会で毎日バカを相手にして生きているので、ネットにつながったバカまで相手にしたくないのである。

 お便りのなかには紳士的な反論、意味のある反論が書かれていることもある。が、それに対してこちらの意見を述べたことは一度もない。反論に反論を書けば議論になる。それがいやなので反論に触れないよう注意深く返事を書いていた。(現在は返事を一切出さない)

 それでも事情を知らないウッカリ者が年に何人か熱い抗議メールをよこす。頭のイカレた左翼、理屈のわからない主婦、了見のせまい大阪人・・・などなど。もちろん相手にしたことはない。  つづき

 どうもボクを恰好の論客(議論好きな人)とカンちがいしているようだ。

 世の中に議論ほどムダなものはない。

 一般の方々とは“宗教”がちがうので、若いころから議論は意味のないことと心得ている。大衆に絶望した世捨て人の処世術である。

 議論がムダなのはオウム事件でも実証済み。オウムと世論の完全なすれちがい。まるでかみ合わない議論を見せつけられた。

 「話せばわかる」とか「議論をつくせ」という。議論すれば何かが生まれると考えるのは戦後民主主義の弊害の一つだ。

 基本的に人は話してもわからない動物なのだ。理屈のわからない人を説得するすべはない。

 血液型占いを信じている人を理詰めで負かすのは簡単なことだが、考えを改めさせることはできない。どういう議論はむなしい限りだ。

 「写真を見ただけでその人の血液型がわかる」と豪語するメールが来たこともある(!)。こういう人を説得する義務はこちらにはないだろう。

 問答無用とはいい言葉だ。議論はムダだというのである。すばらしい時間節約術だ。欧米の民主主義とはちがう論理である。

 欧米はディベート文化。対して日本はリベート文化だ?ダジャレはともかく、欧米のことわざにも「沈黙は金、雄弁は銀」というのがある。

 議論に対する人生最良の態度は“無視すること”だ。

 ネット上の議論、たいていは勝っても負けても当事者の自己満足でしかない。まっとうな読者はそんなものに興味がない。議論するヒマがあったら意味のあるコンテンツを作れ。


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