前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ 次のコラム

  ほぼ世捨て人/2005年4月

社会への恩返し

  〜 寄付一切お断りの理由は 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 社会に恩返し、老夫婦が日赤に10億円寄付

 昨年末の三面記事だ。「なんと奇特な人か」と世間の耳目(じもく)をひいた。

 バブルのころ不動産業で大儲け、一代で作った資産だという。老人ホーム暮らしで子供はいないし、あの世にお金は持っていけないのだから、いい判断だと思う。残しても国に没収されるだけだ。

 ボク自身はどうかというと、寄付、募金、義援金と名のつくものは一切お断りしている。

 ひどい奴だ? でも薄情なのではない。ボクの人生を見てもらえばわかる。

 思えば不遇な人生だった。日本の社会になじめなかった。だれでもできるサラリーマンができなかった。これは経済的に決定的な打撃になった。

 このままいけば、ボクの生涯収入はサラリーマンの数分の一になるだろう。

 低賃金で他人の出世のためにせっせと働いてきた。安い労働力として日本経済を下から支えてきた。

 キツイ肉体労働もやった。20歳も年下の若造にアゴで使われたこともあった。自分より5倍バカなヤツにバカにされたこともあった。

 不愉快なことは数限りなく経験した。「辛酸なめ夫」とはボクのことだ。

 この歳になってもなんの経済的な安定も保障もない。老後に年金は1円だってもらえない。もちろん未加入のボクが悪いのだが、過去に厚生年金を5年、国民年金を4年も払っている。これは大変な寄付である。

 失業保険だって何年も払い、過去に何度も失業したが、一度も失業保険をもらったことがない。

 国民健康保険を何年も払ったが、保険を使ったのは虫歯治療のときだけ。掛け金のほとんどは他人の医療費に消えた。  つづき

 税金だってそうだ。控除が少ないので分不相応に高額な所得税を払っている。

 貧乏しながら慈善事業をやってきたようなものだ。貧乏という枠の中で、あの10億円夫婦と同じくらい寄付しているのではないか。

 ボクだって人並みになんの苦労もなく楽しく働いて、のうのうと生きてみたかった。人並みの収入を得たかった。自分の家ぐらい持ちたかった。

「そうしなかったのは自分の選択だろ。」

 もちろんすべてを社会のせいにするつもりはない。ただ、社会と相性が悪いのはボクのせいだけではないはず。

 悪いけど、これ以上社会のために何かしようという気にはなれない。社会に復讐したいくらいである。人のものを盗ったり人を傷つけたりはしないが、人の役にも立ちたくないのである。

 それでもボクは、社会に恩返ししたいというあの夫婦の気持ちがヒジョーによくわかる。これホント。だからあの夫婦が特に立派だともバカだとも思わない。

 人は恵まれた人生を送れば、人にも社会にもやさしくなれる。成功した人はみな大金を慈善に寄付する。単なる税金対策ではない。どんなにがめつく稼いでも、最後には寄付する。ビル・ゲイツでさえ寄付している。持ってるものを分け与えるのは人の本能だ。

 だれでも普通の人生を送ってある程度の年齢になれば、社会に感謝する気持ちになるのは自然なことだ。ボクのような目にさえ遭わなければ。

 ボクだって経済的に恵まれていれば、気前よく寄付したにちがいない。今だってこんなに人にやさしいのだから(?)。こうしてボランティアで上質なコラムを書いてインターネットでタダで公開している。

 とにかく今は社会に恩返しする気にはなれない。まだ恩を受けてないのだから。

「人は悲しみが多いほど人には優しくできない。」 AZMA


前のコラム 庵ホーム ほぼ世捨て人もくじ ページ先頭 次のコラム
Copyright(C) 2005. AZMA

inserted by FC2 system