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  ほぼ世捨て人/2005年7月

貧乏をこじらせた頃

  〜 貧乏のドツボを抜け出すまで 〜

ほぼ世捨て人もくじ


 人生で一番貧乏だったのは5、6年前だ。

 1999年、コラムの通販ビジネスを立ち上げるため、アルバイトをせず貯金を食いつぶす生活だった。どんどん貯金が減って赤信号が点灯。

 こまるのは、時給制のアルバイトといえども働き始めてすぐに給料が出るわけではないこと。月末締めの翌25日払いなんて会社が少なくない。まとまったお金を手にするまで2ヶ月ほど見なければならない。実に農耕社会的な支払い方である。

 つまり仕事を見つけても、生活費2ヶ月分の貯金がなければ、最初の給料が出る前に餓死してしまうのである。

 ひと月の生活費。家賃が3万5千円。光熱費が1万円。食費は自炊で節約しても5千円。働きに出れば交通費や昼食代もかかる。合計すると5万5千円はどうしても必要。2ヶ月だと11万円だ。

 当時、貯金がこのデッドラインを切ってしまった。月払いの仕事に就いても手遅れ。これをドツボにハマるという。

 就職が遅れた理由は、ネットビジネスの収入を当てにしたこと、そしてバイト探しに難航したこと。不況まっ只中、40代だと募集の大半は年齢制限で引っかかるのである。

 週払いか日払いの仕事を探すしかない。日払いの派遣会社A社に登録した。

 働きたい日の前日に電話で仕事を予約。朝7時にA社前に集合。点呼をとって各派遣先へ向かうというシステム。通勤時間も交通費も2倍かかるわけだ。

 まるで日雇い労務者だが、登録者の大半は20代のフリーター。中年は10人に1人もいなかった。

 日当は少ないときで7千円。交通費は自己負担。いい歳したおっさんが丸一日働きに出て実質6千円はツライ。こちとられっきとした世帯主。パートのおばさんとはちがうのである。

 登録者が多く仕事先は限られているから、毎日コンスタントに仕事にありつけるわけではない。ひと月の仕事日は10〜15日。10万円にもならなかった。  つづき

 お金を貯めて待遇のいい月払いの仕事に乗り換えたいが、このペースではなかなか貯まらない。

 公共料金の引き落としに間に合うよう口座にお金を入れ、月末に家賃を払うのが精一杯という月もあった。

 ドツボから脱出するには徹底して出費を切り詰めるしかない。昼食代を浮かすために早起きして弁当を作る。片道1時間半自転車を漕いで電車賃を節約したこともある。

 通勤時間は倍だからいつも寝不足。しょっちゅう職場が変わるので気疲れも大きい。勤務日数は少なくてもハードな日々だった。

 いい仕事はないし、仕事がうまくつながらない。働いても働いても貧乏から抜け出せない。さすがの貧乏慣れしたボクも嫌気がさした。ときに42歳。厄年だった?。

 やっと貯金ができて、原付バイクやデジカメを買ったり、しかし月払いの仕事を探すのに手間取ってどん底に逆戻り、ということが2、3度あった。

 ドツボは丸2年続いた。2001年3月、ついに月払いの仕事に乗り換えることに成功。

 このとき預金残高は110円まで減ったが、最初の給料日まで持ちこたえられればこっちのもの。もともと節約が信条だから、あとはどんどん貯まっていく。

 どん底を脱してから4年余りがたつ。この間に3回失業したが、待遇のいいバイトにも恵まれた。

 いま銀行には700万円の貯金がある。どん底からここまで這い上がった。奇跡の復興といえるだろう。

 もとより自分の不注意でハマったドツボ。余計な苦労しちゃったなと思う。

 ただ、どん底を見たからこその反省もある。それまで人生少々投げやりだったなと。いくら金銭的に不遇な人生とはいえ、諦めてしまったらそこでおしまいだ。そう思ったからここまで挽回したのだろう。

 もう目標から目を離すことはないだろう。


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